本栖城
もとすじょう

(山梨県南都留郡富士河口湖町)
最終更新日:2012.11.13

地図

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<2012.11.13記>
溶岩で築かれた石垣がある・・・という話を聞いて、このお城をどうしても訪ねたくなりました。それもどうせなら、お城仲間とわいわい押しかけてみたいな、と。
ただ、自分でも見たことのないお城を案内するのもどうかな、と思い、結局下見に行くことになりました。法事の後だったので、黒服・革靴で。服装が服装なので、山裾までちょっと・・・のつもりで行ったのに、現場に辿り着いたらついつい登り始めて、気が付いたら革靴で山頂に立っていました(笑)。
お城仲間との訪問本番の日は、数日前に降った雪がまだまだしっかり残っていて、登り出す直前に本栖湖畔でしこたま飲んでいた方もあったせいもあって、山頂までの道のりがとてつもなく遠いものに感じられました。みんなでへとへとになって、やっとの思いで辿り着いたその場所は、富士山を臨み、本栖湖を見下ろす、絶景の地。足元の雪に足を取られ、凍てつくような寒さの中で、それでも抜けるような青空と、果てしなく広がる青木が原の樹海と、きらきら光る本栖湖の湖面とに、救われたような気分になりました。
Data
ランク -
石垣、堀
創築:不明、武田氏?
武田氏
駿河と甲州とを繋ぐ重要なポイントにあり、いわゆる国境警備のお城として早くから整備されていたものと思われます。本格的な城郭として整備されたのは武田信玄の時代というのが常識的な見方ですが、武田氏滅亡後の徳川・北条間の争い(天正壬午の乱=1582年)においてもこのお城が使われていたようなので、現在見る姿は武田信玄よりもっと後の時代のものなのかもしれません。
山の上のお城は、武田氏の城郭研究の専門家・中田正光氏が早くから指摘している通り、城郭の入口部分に最強の防御を施しており、登城路が堀切の底を通ったり上を通ったり、尾根上をくねくねと曲がりながら進んでいるあたり、意外なくらい技巧的に出来ています。要所要所に溶岩で積まれた石垣が残るのも特徴のひとつ。
もうひとつの大きな特徴は、山麓に横たわる長い長い石垣。全長1kmは下らないと言われ、樹海の中にあたかも万里の長城が横たわっている(高さは1mほどですが)ように見えます。これぞまさしく国境の城、ということで、マイナーながら、一見の価値ある城郭となっています。





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