勝沼氏館
かつぬましやかた

(山梨県甲州市)
最終更新日:2014.12.23

地図

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<2014.12.23記>
いつだったか、所属しているコミュニティの「お城の日」で山梨県を攻めていた時、勝沼氏館が見つからなくて(笑)。
私には縁がない館かと思っていましたら、山梨に旅行に行った日に助手席から「ねえ。勝沼氏館って書いてあるよ」との声が。なんとまあ、幹線道路に面したところに駐車場まであるではありませんか。よくよく調べもせずに訪ねていくとろくなことがない、ということですね。
訪ねたのはGWの頃のこと。生えたばかりのうどの葉が茂り、ふと見れば風に舞うたんぽぽの綿毛。ほんの一瞬童心に帰り、私もいっしょになってたんぽぽ飛ばしに興じてみたり。何年か前の苦い思い出が、素敵な思い出によって上書きされた日になりました。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:天文年間?、勝沼信友
勝沼氏
勝沼氏館はそこに館があったという伝承だけが伝えられていたようですが、昭和40年代になって山梨県立ワインセンターの建設候補地となったことに伴い発掘調査が行われた結果、中世の武家館が良好な状態で出土したことから保存が決まり、国史跡の指定も受けるに至りました。カーナビなら県立ワインセンター(結局隣接地に建設されたわけですね)にセットすれば行けますし、県道38号線と214号線が交わるT字路に面して駐車場も設けられています(なお、私が数年前に辿りつけなったのは、ワインセンターを「勝沼ぶどうの丘」と勘違いし、そちらにタクシーで行ってしまったことによるものです。同様のミスがないよう、恥を忍んで付記しておきます)。
勝沼氏は武田氏の一族で、この館を築いたのは武田信虎の弟・勝沼信友と言われています。信友は武田信玄のおじさんということになりますね。信友は天文4(1535)年の今川氏による甲斐侵攻の際に戦死してしまい、その子・信元(信玄のいとこ)は武田氏に対する謀反の疑いで永禄3(1560)年に誅殺され、勝沼氏はそこで断絶してしまいます。そんなわけで勝沼氏館は16世紀の前半に30〜40年程使われただけの館ということになりそうで、そこに残された建物の痕跡は戦国時代のある一時期の姿を色濃く残しているわけですね。これは貴重です。
館は長方形の主郭を土塁と堀で囲み、更に外側にいくつかの曲輪を設けた複郭式で、主郭内には井戸や工房など、生活感満載の建物が軒を連ねていたことが発掘調査で明らかになりました。現在はカラー舗装などにより平面復元がなされていますので、当時の建物配置がわかります。主郭を囲む土塁と堀は美しく整備されており、「館」だと侮っていくと思わぬ「城郭」の姿に嬉しい悲鳴を上げることになりますのでご注意を。





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