富山城
とやまじょう

所在地:富山県富山市本丸
最終更新日:2018.11.5

<2018.11.4加筆修正>
富山城の天守は、本丸御門の石垣の上に建っています。もともと天守も何もなかったお城に天守を建てるにあたり、手っ取り早く見栄えもいい、本丸御門の石垣が選ばれたのだそうです。
現地に立って門の側から見ると、お城を見慣れた目にはなんとも不可思議な光景に見えるのですが、本丸側から見ると案外そうでもなくて。
これはこれで、ありなんじゃないかな。
そう思わせてくれる、なかなか風格のある天守だったりします。昭和半ばに建てられた天守はどこも、それなりに時間を経ているせいか、案外「さま」になって見えるものです。
本丸の東側には、赤っぽい瓦をぎらつかせた門が建っていました。これも模擬なのかと思いきや、もともとお城の東側にあった「千歳御殿」の門だったものを地元有志に払い下げられ、再度城内に移築したものなのだそう。街中の安っぽい城址公園だと思って訪ねると、存外な奥の深さにぐぐっと心を持っていかれます。

ちなみに今でこそ富山県の中心になった富山市街ですが、もともとの越中の中心は国府があった高岡近辺でした。富山が中心になったのは越中で勢力を増した神保氏の本拠となったことと、織田政権下で佐々成政が本城としたことがきっかけで、最終的には加賀藩から分藩した富山藩の藩庁として富山城が使用されたことで、富山を中心とする越中の支配体制が確立しました。
神保氏、佐々氏によって拡張された富山城は、前田利家の嫡男・利長が隠居城として大改築しましたが火災で全焼、利長は新たに高岡城を築いて移りました。その後、加賀前田氏三代目・利常の次男・利次が分藩するに際し、改めて大改修されたのが現在の富山城で、そのまま富山前田氏の居城として明治に至ります。明治以降、城域は次第に市街地へと変貌し、今では本丸と二の丸とが繋がった公園部分を残すのみとなりました。
なお、富山城にはお城っぽい建物がもう一つありますが、こちらは「佐藤記念美術館」という美術館として建てられたものです。城内に建てたのでお城っぽくなったという次第。
平成の発掘で、富山市街からは続々と富山城の遺構が見つかっています。中でも三の丸大手門の石垣が発見されたのが大きく、これにより外堀と大手門の位置が特定できるようになりました(現在は道路脇に大手門跡を示す標識が残るのみです)。
Data
ランク 続100名城、100選、こんな城
天守(模擬)、門、石垣、土塁、堀
創築:天文12(1545)年、神保長職  改築:万治4(1661)年、前田利次
神保氏、佐々氏、前田氏(富山藩、100000石)
富山駅の南方800m、富山県庁の南に城域が広がっています。車なら、公園化された富山城の本丸地下(!)が駐車場になっています(地下に駐車場があるということは、地下遺構はまるまる消滅したということだと思いますが・・・)。
続100名城スタンプは、天守受付で押すことができます。


富山城フォトギャラリー





inserted by FC2 system