天神山城
てんじんやまじょう

(鳥取県鳥取市)
最終更新日:2013.10.14

地図

<2013.10.14記>
鳥取城に向かう途中、カーナビにちらちら見える天神山城が気になって、近くを通るだけ通ってみました。不明な点は多いものの、時期が時期であればこの場所が鳥取の中心だったというだけでも、なんとなくロマンを感じたり。
しかし!時間がないのです!(笑)
看板だけ撮影し、その背後の丘にお城の匂いをぷんぷんと感じながら、後ろ髪引かれる思いで天神山城をあとにしたのでした。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:永正10(1513)年、山名氏
山名氏
因幡守護・山名氏の本拠地であったお城です。築城したのがどの山名さんなのかは残念ながらよくわからないのですが、創築として掲げた永正10(1513)年には、山名豊氏がここにいたことが明らかなので、一般にはこれをもって築城年次としているようです。因幡山名氏はお隣の但馬山名氏とよく争っていたようで、そのあたりは関東における長尾氏や上杉氏とよく似ています。因幡山名氏より但馬山名氏の方がちょっと強かったようで、因幡山名氏の主は但馬山名氏からしばしば送り込まれたもののようです。
天神山城が激しく動いたのは永禄6(1563)年。時の守護・山名豊数と、重臣の武田高信との対立が激しくなり、高信によって豊教は天神山城を追われます。高信はそれから10年後、天正元(1573)年には尼子氏の援助を受けた山名豊国(豊教の弟)との激戦の後、鳥取を追われます。天神山城はこの時点で守護所としての機能を失い、鳥取城へとその中心が移っていったようです。
とはいえ、天神山城には伝承によれば三重の櫓が上げられていたとも言われ、それを「天守」と呼ぶのであればずいぶん古い段階での天守ということになります。ちなみに日本初の本格天守が築かれた安土城が着工されたのは、天神山城が廃城となった3年後の天正4(1576)年のこと。天神山城はその意味でも、かなり早い段階に築かれた本格的城郭であり、天守に相当する建物の存在や湖と平野を取り込む都市計画の確かさなども踏まえれば、近世城郭に必要な要素をかなり早い段階で備えていた先進的な城郭であったということができそうです。





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