尾高城
おだかじょう

(鳥取県米子市)
最終更新日:2013.10.16

地図

<2013.10.16記>
米子城に向かう道の途中、カーナビが示した城跡がこのお城。「シャトーおだか」という宿泊施設のそば・・・というか、その中にお城がありました。全く予備知識がなかった中での訪城となりましたが、四角い土塁や堀が案外しっかり残っていて、案内板なども整備されていて、「あ、これは案外でかいお城なんだな」ということに気付かされます。
長い長い夏の日も漸くにして西に傾く頃、米子城の夕陽に間に合わせるべく、早々にこのお城をあとにしたのでありました。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:不明
行松氏、吉田氏、杉原氏
ちょうどこのあたりが毛利氏と尼子氏の勢力図の分岐点だった時期があったようで、このお城を巡って様々な争いが繰り広げられたようです。行松氏は毛利氏側、吉田氏は尼子氏側、杉原氏は毛利氏側で、毛利・尼子がこのお城を奪取するたびに城将も目まぐるしく変わりました。永禄12(1569)年には、没落した尼子氏を再興すべく立ち上がった山中鹿之助らによってまたまた攻め落とされたというエピソードもあります。山中鹿之助はこのお城に幽閉されていたこともあり、単身脱出劇を演じたとされているのもこのお城です。
お城は八つの曲輪をずらっと並べたような配置で、縄張り自体には古めかしさが漂います。ただその曲輪の数といい、数々の戦いをくぐり抜けてきた歴史といい、この地方では非常に重要な役割を演じたお城であったことは間違いないでしょう。1970年代に発掘調査が行われており、13世紀から16世紀まで幅広い年代に亘る遺物が出土していることからも、このお城の息の長さを感じます。





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