勝瑞館
しょうずいやかた



所在地:徳島県板野郡藍住町勝瑞東勝地
最終更新日:2019.3.3
<2015.4.19記>
勝瑞館は承久の乱(承久3(1221)年)の後に阿波守護になった小笠原長清によって設営されたというのが一応の通説です。その時代の館の設営を「築城」と呼んでよいのかどうかは議論の外に置いておくと、勝瑞館は阿波国に初めておかれた武家支配の拠点と伝えられる場所であり、その場所が特定されているというだけでも大変貴重な遺跡と言えるでしょう。
勝瑞という名は、細川頼之が阿波国内の反乱を鎮めた際にそれを記念して、いかのも目出たそうな名に改めたとのことです。勝瑞館の住所は「勝瑞東勝地」。なるほど確かに目出たい感じがします。阿波細川氏は、有力被官であった三好氏が次第に力を付ける一方で次第の阿波国内の実権を奪われていきます。三好実休(三好長慶の弟)によって細川持隆が打ち取られたことが決定だとなって、その後の勝瑞城は三好氏の事実上の本拠地となりました。その後、三好氏の弱体化と長宗我部氏の台頭によって、三好一族の十河存保(三好実休の次男)が阿波を追われるに至り、勝瑞城も勝瑞館もその役割を終えることとなりました。
勝瑞館は長らくその場所が特定されていませんでしたが、勝瑞城の南西に方形の地割が発見されたことから断続的な発掘調査がなされており、溝に囲まれた方形区画が確認されたほか、その東側に庭園と礎石建物が発見されました。未だその全貌は明らかになっていないようですが、主家の館の周辺を複数の独立した館が取り囲む、室町期によく見られる形の武家居館の景観が広がっていたのでしょう。周辺には更に超大型寺社等の遺構もあるようですから、恐らくこの地域の地下には中世の大型都市がそのまま眠っている可能性があります。そういう意味ではポテンシャル十分な館ですね。今は平たい公園ですが。
勝瑞館は勝瑞城とともに国史跡の指定を受け、検出された遺構は地下保存されています(つまりほとんど見えません)。とはいえ勝瑞館の全貌調査はまだ端緒についたばかりであり、全容が解明されるにはまだまだ相当の年月がかかることでしょう。正直なところ、初めて勝瑞館を訪れた時にはまっさらな更地にしか見えませんでした(大汗)。

<2019.3.3記>
2018年に続100名城が選定され、勝瑞館もめでたく続100名城の仲間入りを果たしました。歴史的価値は十分ですが、もしかしたら表面遺構の最も乏しい100名城・続100名城になったかもしれません(笑)。そうしたお城が選ばれることに、むしろ100名城の価値があるのでしょうけれども。
スタンプが出来たということで改めて勝瑞館を訪ねてみたら、東屋がひとつできていて(正確には東屋ではありません。発掘成果をベースにした当時のサイズの建物です・・・が、柱と屋根だけ復元したので東屋にしか見えないという・・・)、少しだけ公園らしくなりました。これからも、ゆっくりゆっくり復元整備が進められていくのでしょう。
Data
ランク 続100名城、徳島県2位
溝、建物跡
創築:承久3(1221)年?、小笠原長清?
小笠原氏、細川氏、三好氏
勝瑞の駅から左に出て、200mほど歩いて県道14号線を斜め左に入ると、右側に勝瑞城が見えてきます。勝瑞館は勝瑞城の南西、コンビニのある角を左に折れると右側に入り口が見えてきます。ただ勝瑞館は徐々に整備が進んでいますので、出入り口もやがて違う場所に整備されるかもしれません。車は今なら漠然と周辺に置けますが、発掘調査現地事務所のあたりに置くのが現状では最も正しそうです。
続100名城スタンプは勝瑞館として開放されている中では北辺にあたる場所に建つ発掘調査現地事務所で押すことができますが、休日は空いていないので近くのガソリンスタンド(武田石油)で押すことになります。


勝瑞館フォトギャラリー





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