佐野城
さのじょう

(栃木県佐野市)
最終更新日:2011.11.20

地図

<2011.11.20記>
唐沢山城に行く途中、同行の士と佐野駅で合流し、そのまま駅を突き抜けて、佐野城を訪ねました。公園としての整備が進み、お城らしさがあまり感じられない中、やがて本丸と二の丸の間に架かる橋へとさしかかります。橋の下には、一直線に切り通された通路が一本。
何の細工もない、どこまでも一直線な、堀。
本丸側から二の丸側を振り返ると、公園を縁取る、斜め45度角の斜面。
どんなに公園化されようと、ここは確かに、お城の跡。
不本意に築かれて、不本意に廃城となったこのお城の本丸には、埋められた石垣と城門の跡が残されています。わずかに地上に露出した石の列が、このお城の無念さを示しているようにも思えました。
Data
ランク -
石垣、堀
創築:慶長7(1602)年、佐野信吉
佐野氏、堀田氏(佐野藩、16000石)
戦国時代に関東地方に勢力を張った有力氏族の多くは、小田原の役から大坂の陣までの25年の間に、続々と没落して(少なくとも大名ではなくなって)いきます。佐野市界隈に勢力を持つ佐野氏も例外ではなく、小田原の役の後、豊臣秀吉と近しい富田氏から養子を迎え、佐野信吉として佐野家を継がせる等、涙ぐましい努力を図るのでありますが、慶長7(1602)年、居城の唐沢山城に廃城命令が下り、唐沢山よりずっと低くて小さい春日岡の地にあらためて居城を築く羽目になりました。それがこの佐野城です。しかも、慶長19(1614)年に、佐野氏は突然改易となり、佐野城はそのまま一時放棄されました。佐野氏の改易の原因や、そもそも唐沢山城を廃城とさせられたことには、いろんな事情があるようですが、いずれにしても、なんとも踏んだり蹴ったりな目にあったお城です。
お城そのものは、その後堀田氏が1万〜1万6千石の小藩主として佐野の地を治めますので、その際に使われていたようです。とはいうものの、よくわからない理由で築かれて、よくわからない理由で放棄されたお城ですから、なんとなく「ついてない」印象が拭えない、可愛そうなお城です。





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