黒羽城
くろばねじょう

(栃木県大田原市)
最終更新日:2013.3.27

地図

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<2013.3.27>
2012年に実施した栃木県の城めぐりから、はや1年が経過してしまいました。
1年前に訪ねた黒羽城には、この時期まだ雪が残っていたのですが、今年は同じ時期、東京で桜が咲いています。1年前と今年とでは、ずいぶんと気温が違うんですね。
1年前というと、東日本大震災から約1年という頃でもありました。豪壮な空堀にすっかり興奮した私は、意気揚々と本丸へと乗り込み、そこで土塁の半分が崩れ落ちている光景を目にすることになります。
堅牢な土塁をも切り裂く大地震の爪の深さと鋭さに、しばし息を呑んだものでした。
あれから1年。黒羽城の本丸土塁が修復される日は来るのでしょうか。
Data
ランク 栃木県3位
土塁、堀
創築:天正4(1576)年、大関高増
大関氏(黒羽藩、15000石)
大関氏のお城です。大関氏はもともと白旗城を本拠とする那須一族だったのですが、隣接する大田原氏との抗争に破れ、大田原氏当主・大田原資清の子息の一人であった高増が大関氏を名乗って黒羽の地に新たに築いたのがこのお城、ということになります。那珂川に面した丘陵のてっぺんに本丸を置き、厚い土塁と深い空堀で囲み、入口は枡形と馬出しで固める、極めて堅牢な作りになっています。このあたりほぼ完存しており、V字型に切れ込む空堀とともに、黒羽城の見所になっています。本丸に平行して走っている道路の反対側(駐車場のあるところ)もお城の中で、水を湛えた堀と土塁が残っています。
黒羽城は大関氏が築いて後、実質的な本家である大田原氏ともども、一度も移転させられることもなく、明治までそのまま1万5千石の大名として存続しました。本来の本家である那須氏が早々に大名の座を滑り落ちていることを考えれば、実に大したものだと思います。





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