川崎城
かわさきじょう

(栃木県宇都宮市)
最終更新日:2015.6.21

地図

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<2015.6.21記>
東北自動車道を白河方向に進むと、矢板インターを過ぎたあたりで右側に「いかにも」な山城が見えてきます。場所は、文字通り東北自動車道の「隣」。城好きな人で、これが気にならない人はいないはずで(笑)。
といいながら、最初に「お!」と思ってから、実際に訪ねるまでには20年以上の月日を要してしまうのは、ある意味いつものことで(笑)。
訪ねてみると、山上の主郭の周囲を巡る横堀をはじめ、東北道から見るより更に濃厚な「お城らしさ」を兼ね備えているのがわかります。夕闇迫る中、せっせと足早に見学を済ませたのですが、もう少しじっくり見る必要があるお城かも。
ちなみに空堀に垂直に降りる木の階段は、一見とっても滑りそうで、ものすごく怖かったです。もちろん階段がなければ堀底に降り立つこともできないので、とってもありがたい階段ではあるのですが。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:正治建仁年間(1199〜1202)年、塩谷朝業
塩谷氏
塩谷氏は宇都宮氏の重臣ですが、半ば独立した存在として近隣の那須氏との領地抗争に明け暮れながら、実に19代もの間、川崎城を本拠とし続けたもののようです。北関東には黒羽氏や大田原氏などのように、延々と同じ場所で代々相伝えるケースが多いのですが、塩谷氏も塩谷郡において、延々と頑張ってきたということでしょう。小田原の役も宇都宮氏とともに乗り切り、もしかしたら独立大名として存続できるのでは・・・というところまでこぎつけた矢先、文禄4(1595)年に豊臣秀吉から改易を言い渡され、塩谷氏は川崎城を去ることになります。その後の塩谷氏は久保田藩佐竹氏の家臣として「第二の人生」を歩んだのだそうです。いったい何があったのやら。。。
川崎城はそんなわけで、一貫して塩谷氏により整備がなされ、塩谷氏とともにその役割を終えたお城です。長い歴史の中で、川崎城の乗る小丘は下から上までびっしりと城郭としての構えが施されたのでした。圧巻は主郭周囲を巡る横堀の存在。帯曲輪が配されるべき場所は、今でも明瞭に堀としての痕跡を残しています。一方で土塁による虎口の工作などはあまり見られず、技巧によってというより山そのものの傾斜と規模感で守ろうとしたお城であることを窺わせてくれます。
お城はほぼ全山が公園となり、東西に駐車場があります。城に登るには西側の駐車場が便利です。





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