伊王野城
いおうのじょう

(栃木県那須郡那須町)
最終更新日:2015.5.17

地図

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<2015.5.17記>
芦野城から国道294号線を伊王野方面に向かうと、伊王野の町並みに入る手前に伊王野城の入り口を示す標識が出てきます。そこを東に左折すると山道に入り、山道の行き止まりに車が2台ほど停められる駐車場があります。ここから伊王野城への道が始まります。すぐ現れるのが広い三郭。ここまでは公園として綺麗に整備されており、問題はありません。しかし、その先は・・・
神社のある二郭まではまあなんとか。その先、空堀の向こうにある一郭は、薮というより密林で(笑)。久しぶりに先の見えない薮漕ぎをしました。一人で(爆)。
いや〜。怖かったですね。神社の適度な荒れぶりにも肝を冷やしましたが、なんとも言えないイヤ〜な雰囲気を感じます。一人では行きたくない感じの場所です。一郭の先にも大きな堀切があり、事前に見ていた縄張図では、その先に堀で仕切られた面白げな空間があるのですが、密林の度合いはすごいし堀は深いし不気味だし・・・行けそうな気がしませんでした。あれをあの先まで行ってみて、しっかり縄張図に記している皆さんって、すごいなあとつくづく思いました。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:長享元(1487)年、伊王野資清
伊王野氏
伊王野氏は那須氏4代目・那須資頼の次男・資長を祖とする那須一族で、那須六家とか那須七騎とか数える時には必ずそれに含まれる名門です。脈々と血筋を伝え、19代目当主・伊王野資宗の時に天下統一を迎えます。この過程で豊臣秀吉に挨拶に行くのが遅れ、わずか700石余りの所領のみが安堵されますが、関ヶ原の戦いで上杉氏に備えた功により2000石程度の旗本として蘇ります。ところが寛永年間に突如無嗣断絶となり、領主としての伊王野氏は途絶えてしまいました。
伊王野城は伊王野氏13代目の伊王野資清がそれまでの伊王野氏館から山城である伊王野城に移ったのが始まりとされ、比較的面積の広い主郭と三郭を、段々畑のような二郭が取り持つ形になっています。圧巻は主郭の北側から西側にかけて刻み込まれた深い堀。見学さえし易ければ、見る人を「おお」と感動させる代物なのですが、いかんせん見学がしにくいのが難点です。





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