鳥羽山城
とばやまじょう

(静岡県浜松市天竜区)
最終更新日:2014.10.18

地図

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<2014.10.18記>
静岡に生まれて40年余。その半分以上を東京で過ごしたとはいえ、二俣・鳥羽山両城に行ったことがないのは気がかりのタネでした。で、2013年の秋、漸くにして二俣城と鳥羽山城を同時に訪ねることとなりました。どっちから行こうかと思ったのですが、一応二俣城が「本城」、鳥羽山城が「別宅」との扱いに従い、二俣城側に車を置いたまま歩いて鳥羽山城へと向かいました。実際に訪ねる際は、鳥羽山城の方が駐車場が広いですし公園としても綺麗ですし、鳥羽山城側に車を停める方がよいかも。
二俣城側からだと、鳥羽山城の「裏口」から城内に入る感じです。最初は普通の山城っぽい感じで始まりますが、登るにつけそれが普通でない光景に変わります。
だって、石垣だらけですから(驚)。
鳥羽山城はある個人の方が何十年にもわたってこつこつと発掘して調べ上げ、二俣城を上回る規模の石垣を有するお城として注目を集めていましたが、実際に訪ねてみると確かに石垣だらけなんですね。高さがないので威圧感はないのですが、石垣が施されているのは門の周りの一部とかいうのではなく、本丸の四周すべてが石垣だったと確信させるに十分な分量が残っています。
すっごい城が、二俣城の影に隠れて眠っていたものです。
Data
ランク -
石垣、土塁
改築:天正18(1590)年以降、堀尾氏?
大久保氏、堀尾氏
立派な石垣を持つ割には、歴史の表舞台に出てくることのなかったお城です。近隣の二俣城と事実上ひとつのお城だったのではないかとの説もありますが、戦国時代にはこの二つのお城の間には川がどどんと流れていたため、別のお城と考える方が自然です。武田氏が二俣城を占領していた頃は、徳川氏側の陣城として大久保氏が陣取っていたのではないかとの説もあります。
現在残る石垣は、その積み方から天正18(1590)年以降に浜松城に入った堀尾氏によって築かれたのではないかと推察されています。発掘された本丸正門の通路幅は6mを数え、幅の広さから防御用施設というより別邸・別宅のようなものではなかったのかとの説もあり、本丸跡から検出された庭園跡からもこの場所が風流な施設として使われたことが伺えます。
本丸の石垣は、基礎部分だけが残っている箇所を含めると概ね本丸全域を巡っていたことが推察されます。二俣城からも2014年になって新たな石垣が検出されていますし、鳥羽山城もまだまだこれから新たな発見があるかもしれません。





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