天ヶ岳砦
てんがたけとりで

(静岡県伊豆の国市)
最終更新日:2015.8.23

地図

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<2015.8.23記>
韮山城には何度となく足を運んでいましたが、その裏山にある砦群にはなかなか足を踏み入れる機会もないままでした。そんな中、韮山城塞群をまとめて見に行くオフ会が開催されるというので、喜んで参加させて頂き、天ヶ岳砦にも初めて訪問する機会に恵まれました。
初めて見る天ヶ岳砦は要塞と呼ぶにふさわしい造りで、山上を孤立させることだけを目的に構築された砦のようでした。
深すぎる堀切、狭すぎる土橋。
どれをとっても他のお城ではまず見ることのできない厳しい構造物の連続です。要所要所にはロープも張られていますが、このお城の見学には相当な覚悟が必要だということを実感しました。
ちなみに私はそうした厳しい遺構とは全く無関係の、深さ50cmほどの堀切に転落しました。油断は禁物・・・です。その後半年くらいもの間、左手首はなんとなく痛いままとなっています。
Data
ランク -
土塁、堀
改築:天正18(1590)年頃、北条氏規
後北条氏
韮山城の背後を守る支城群の中心として、後北条氏によって整備されました。北条早雲の時代から利用されていたようですが、最終形は言うまでもなく、小田原の役に備えての改築後の姿ということになるでしょう。山上はとっても狭く、特に平らな場所をこしらえようともしていないように見受けられますが、周辺には虎口状に加工された箇所が複数あり、往時にはかなり堅固な構えだったことでしょう。山上からは本城である韮山城がしっかり見下ろせます。
豊臣秀吉が天正18(1590)年の6月7日に発給した朱印状には
「韮山之儀、端城五ツ乗取之候、日々夜々仕寄無油断被仰付候」
とあって、本城は落としていないものの「端城」を五ヶ所落としていることがわかり、天ヶ岳城はこの「端城」に含まれるものと考えるのが普通ですが、これだけ韮山城が見下ろせる位置の砦を落とされたら韮山城はひとたまりもないようにも思えますので、もしかしたら天ヶ岳砦は最後まで落ちなかったのかも・・・とも思ってしまいました。ただこの砦、山上部分があまりに小さいので水やら物資の支援なく長期籠城に耐えられるものでもなさそうです。先の文書の「端城」はどれを指すのかについては、まだ更に一考を要することになりそうです。
山上の曲輪を守るように、東西の尾根にはぐさぐさっと堀切が設けられています。現在もなお、ロープなしでは行き来できない険しい守りで、これを攻め落とすのは容易ではなかったということだけは容易に推察できます。
お城は韮山城の南側の切通付近から登るのが一般的かと思います。何しろ険しいので相当な準備が必要です。一人で行くことはあまりお勧めできません。それくらい現在でも堅固なお城です。





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