田中城
たなかじょう

(静岡県藤枝市)
最終更新日:2013.8.3

地図

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<2001.9.30記>
このお城もを訪ねたのは、この時でおよそ20年ぶりのことになります。このお城は珍しいお城です。何しろ、全国的に見ても稀にみる、「まんまる」なお城なのですから。戦国時代に今の規模になり、江戸時代を現役で生き抜いたお城ですが、中心地は学校の敷地になり、周辺部は住宅地になって、お城の名残は断片的にしかのこっていません。
それでも当時の堀にそった「まるい」道をたどってみると、そこここにお堀があったり、三日月堀の上に住宅が建っていたり、お堀のあとが田んぼになっていたり、住宅の間に土塁が残っていたり・・・
お堀からは、今でも水が湧き出ているそうです。大きな鯉がたくさん、ゆったりと泳ぎ回っていました。でも20年前の記憶よりも、明らかに土塁も堀も田んぼも少なくなっています。日本の城郭研究にとって、なくてはならない大切なお城ですが、なんだかこのまま次第に住宅にうもれてしまうのではないか、そんな不安がふと頭をよぎりました。

<2011.5.15記>
2011年になって再訪する機会に恵まれましたが、二の丸の土塁についても保存状態のよいところは藤枝市で買い上げて公園化していたり、城内の住宅のそれぞれに「○○の屋敷跡」といった看板が出されていたりと、相応の保存活動が始まっているように見受けられました。時間はかかるかもしれませんが、そうやってだんだんと城郭としての認識を高め、やがては日本屈指の「まーるい」お城の復元に繋がっていけばよいな・・・と思いました。
Data
ランク -
櫓(移築)、土塁、堀
創築:天文6(1537)年、今川氏 改築:永禄13(1570)年、武田信玄
酒井氏、松平(桜井)氏、水野氏、松平(藤井)氏、北条氏、西尾氏、酒井氏、土屋氏、太田氏、内藤氏、土岐氏、本多氏(田中藩、40000石)
古くは徳之一色城と呼ばれ、今川氏の属城でしたが、現在の縄張りになったのは永禄13(1570)年に、武田信玄が駿河に侵攻してからのこと。同年、信玄が馬場信房に命じて作らせたこのお城は、全国的に見ても極めて珍しい、とことん真ん丸なお城となりました。江戸時代を通じてほぼそのまんま使用されましたので、軍学の教材としても貴重だったみたいです。航空写真で見ても、冗談みたいにまん丸い輪郭が、そのまま道路として使われています。現地に行くと、その丸さが結構実感できますので、一度訪ねてみることをお勧めします。近隣に、本丸にあった櫓が移築保存されていますので念のため(全然お城っぽくはありませんが)。
信玄亡き後、駿河は徐々に徳川家康に蚕食されることとなりますが、田中城が落城したのは武田氏の滅亡とほぼ時を同じくしてのことです(かの穴山梅雪が裏切った後も、田中城は武田氏の城であり続けました)。この時の城将・依田信蕃は田中城の開城後、旧領の佐久に帰りますが、その武将としての資質を高く買った徳川家康に請われ、傘下に加わります。
ちなみに、徳川家康と言えば「天ぷら」の話があまりにも有名ですが(笑)、その天ぷらを食べたのがこの田中城です。





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