長浜城 ながはまじょう |
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所在地:静岡県沼津市内浦重須 最終更新日:2017.12.9 |
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<2014.11.29記> 小田原城の現地説明会のついでに、お城仲間に連れて行って頂きました。静岡県出身のくせに、このお城を訪ねるのはこれが初めてでした。 すっかり整備が進んだお城は、東側に駐車場もトイレも完備しています。看板も充実していますので、見学に難儀なことは全くありません。ここから見る駿河湾と富士山の景色も絶景ですし。 「戦国時代なのに総石垣のお城」としてどこかで紹介されていたような記憶があり、石垣を期待して訪ねたのですが、石垣はどちらかというと脇役で、検出された建物の柱跡や橋を兼ねた櫓建築などの方が目立っていましたが、これはこれで示唆に飛んだ貴重な成果が満載。門と建物の入り口は一致せず、むしろ正反対の方に向いていることなど、お城を防御施設として考えれば「そりゃそうか」と思うことが、目の前にいっぱい広がっています。 長浜城は、後北条氏の水軍根拠地の一つとして、戦略上重要な地位にあったお城です。もともとこの地には地侍の大川氏が拠点を構えていたそうで、大川氏は後に帰農(漁業だから帰漁?)し、現在もこの近辺にご子孫が住まわれています。この大川家長屋門が何やらアニメ(ラブライブ!)でも使われたそうで、今やアニメの聖地になっているそうですね。 武田氏が沼津に三枚橋城を築いたことで、三枚橋城を睨みながらの水軍の移動を可能とするこの場所が選ばれ、大改修が施されたもののようです。三枚橋城が築かれたのは天正7(1579)年のことですから、現在の長浜城もその頃の姿と見て間違いなさそうです。その後、小田原の役を経て廃城となったようですが、直接攻め落とされた記録はなく、少なくとも韮山城が開城するまでは存続していたと見られます。 お城のあった場所には三井の別荘が建てられましたが、別荘取り壊しの後に国史跡の指定を受け、全面的な発掘調査のもと、復元整備が行われました。本丸と二の丸を繋ぐ堀切は、両曲輪の段差をカバーするために二の丸側に櫓が建てられ、櫓から本丸に橋を渡した構造となっていたことや、本丸の建物の入り口が二の丸側の虎口とは反対側に、しかも斜めに向けられていたことなどが見て取れます。なるほど。お城というのはとことん辿り着きにくくするものなのだなあ、と実感できます。 水軍の城ととして作られていますから、もちろん港にも直結しています。本丸北側の尾根伝いに磯まで下る道がついています。ここからそのまま船に乗ることができる仕組みでした。 <2017.12.9記> 上の文章で紹介していなかった点がひとつ。最近になって山麓の船溜まりだった場所に「安宅船」の「原寸大平面復元」が完成しました。安宅船を平面復元しているのは恐らく日本でもここだけでしょう。これが案外いい味を出していて、何より安宅船の規模感を実感できるのがすごいところ。長浜城を訪ねる機会があったら、ぜひこの安宅船も見ていってください。 |
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国史跡、静岡県10位 | ||
櫓、橋(以上復元)、石垣、土塁、堀 | ||
創築:天正7(1579)年頃、北条氏政 | ||
大川氏、後北条氏 | ||
県道17号線を沼津市街から伊豆方面へと南下していくと、淡島マリンパークを経て、やがて長浜城が右側に見えてきます。国史跡指定を機に小公園として整備されており、駐車場やトイレ、小さなガイダンス施設も作られました。やりすぎない復元にも好感が持てます。 |