小長谷城
こながやじょう



所在地:静岡県榛原郡川根本町東藤川
最終更新日:2020.6.22
<2018.2.11記>
小長谷城は、隠れた名城とも言える存在です。武田氏が甲州から遠州までを支配する上での中継拠点として整備されたお城であり、吉田町の小山城と並び、武田氏再末期の築城スタイルを色濃く残しています。その特徴は、何といっても二重丸馬出し。虎口の外側に丸い土塁と丸い堀を二重に囲むスタイルは、静岡県内ではこれまた小山城とここにしか見られない技巧でしょう。ここまで入念に防備しなくてもよいと思うのですが、敵地に近いところで何としても兵站線を確保しようとすると、絶対に侵入を許さないぞ、という姿勢を示すかのようなこうした技巧が必要になるのでしょう。
遺構の残存状況も、北側がスポーツ施設建設によって消滅していますが、二重丸馬出しのある南側一帯は綺麗に残されています。が、いざ写真を撮ろうとすると、現地での感動をお伝えできるような写真が撮れません(涙)。ぜひとも現地に行って頂きたいと思うのですが、これがまた遠いんですな(泣)。車で行くとどこから行ってもものすごく狭くて険しい山道を通りますし。大井川鉄道千頭駅から1kmくらいなので、もしかしたら公共交通機関で行くのが一番よいのかもしれません。

<2020.6.22記>
二度目の小長谷城は、お城仲間さんたちをご案内しながらの訪問となりました。お城好きであれば案内などせずともテンションが上がるお城であることは間違いありませんので、運転技術さえあればこのお城を案内するのは楽です(笑)。
そんなわけで特にガイドするでもなく城内をうろうろ歩き回り、前回見ていなかったエリアについても眺めてきました。お城の南側には谷川が流れているのですが、お城から一段下がった谷川沿いの段丘部には土塁(または横堀)が設けられ、川への備えも万全になっていました。そうなるとスポーツ施設の北側にも同様の横堀が設けられていたのではなかろうかとそちらも眺めに行きましたが、後世の改変も大きいようで、そちら側には特段の遺構はなさそうでした。
改めて正面に回り、神社の参道を眺めてみると、この参道、かつての枡形門を切り崩してまっすぐに設けられた参道のようです。武田氏が入念に普請したことが明らかなお城なので、位置的にはいわゆる両袖枡形、すなわち一の門と二の門が平行に並んでいる枡形門であった可能性が高い場所なのですが、現況を見る限り右折れの枡形であったように見えます。枡形門を入ったあとは広大な曲輪をいったん右(南)に進み、二回左折して一段上の曲輪へと進入するのが正式な登城ルートだったのでしょう。ルート沿いには複雑に土塁を入り組ませた箇所もあることから、このあたりにも連続枡形みたいな構造があったのかもしれません。古宮城や丸子城に見られるような複雑で「いやらしい」防御施設が積み重なっているわけでもありませんし、小山城のようにあっと驚く三重三日月堀があるわけでもないのですが、随所に見られる虎口の工夫など、もはや芸術的と言ってもよい美しささえ感じますね。最高水準の土の城だと思います。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:天正3(1575)年、武田氏
小長谷氏
国道362号線と県道77号線の分岐点で国道263号線が山道へと折れていくところを、山道に入ってすぐ右折します。本川根B&G海洋センターの隣(南側)の穂谷神社一帯が、小長谷城跡の主要区域に相当します。車は神社前の堀脇に縦列駐車で停めることが可能です。
千頭駅から歩く場合には、川根大橋で大井川を渡ってT字路を右に折れると、国道362号線との交差点に行き当たります。国道362号線に左折したら、あとは車でのルートと同じです。

小長谷城フォトギャラリー





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