掛川城
かけがわじょう

所在地:静岡県掛川市掛川
最終更新日:2018.9.18

<2001.9.30記(2018.9.18加筆修正)>
このお城は、私がお城に興味を持ってから、初めて訪ねたお城です。
1978年1月5日。このとき、わずか10歳。
それでも、生まれて初めて城を「訪ねた」記録として、この日のことは生涯決して忘れることはないと思います。
もちろん、当時は天守も再建されていませんでした。山麓のお堀も埋まったままで、小さな公園がしつらえられ、目の前には古びた市役所、お城の建物らしくない(たとえるなら農家の離れみたいな)太鼓櫓、天守台には観音様・・・それでもこのお城の価値を高めていたのは、全国でも珍しい御殿建築。記憶に間違いがなければ、全国で28城目の国指定重要文化財なはずです。初めて訪ねた頃には、まだ指定前だったと思いますが。
その後、掛川城を城址公園として大々的に整備することとなり、木造の天守閣が古図をもとに再現され、大手門なども再建されました。御殿の背後にそびえる天守というのは、たしかに絵になります。再建されて、よかったのかな。

今川義忠の時代、今川氏重臣の朝比奈氏が掛川古城を、ついでこの地に新城を築いたのが15世紀のこと。それから徳川家康に攻め込まれるまでおよそ100年間朝比奈氏が守り続けます。徳川・武田の抗争が盛んだった時期には、この城は一貫して徳川氏のものでした。徳川家康が関東に去った天正18(1590)年、いろんな逸話で有名な山内一豊が掛川に入り、現在の掛川城の形に仕上げます。
関ヶ原の戦いの前、下野国小山で徳川家康は石田三成の挙兵を受けた対策会議(世にいう「小山会議」)を開きますが、この時に山内一豊が「私の城を使ってください」と申し出たのがこの掛川城。この功により山内一豊は土佐一国を得ることとなり、彼が去った掛川には、以後譜代の大名が入れ代わり立ち代わり入ります。井伊氏やら北条氏や太田氏など、戦国の世に名をはせた名門の子孫が多いのもこの藩の特徴かも。ちなみに北条氏は「地黄八幡」の旗で有名な北条綱成の家系です。綱成は北条氏に養子に入る前は福島氏を名乗り、今川氏の重臣として高天神城を守備していたこともありますから、ある意味故郷に錦を飾った形になっているんですね。ただ残念ながらこの家系は北条氏重の代で無嗣改易となってしまいます。男子に恵まれなかった氏重は、お家存続のためせめて徳川家への忠節を示そうと、掛川城下に徳川家光の霊廟をこしらえたりしています(でも改易になってしまうのですが)。この霊廟、江戸時代に一度焼失しますが、江戸末期に再建されて現在に至ります。氏重の思いは成就しなかったのですが、霊廟だけは現代にまで伝えられるという・・・ちょっと皮肉なお話なのかも。

ところで、1970年代の掛川市によれば、掛川城が完成したころは「日本六ヶ所名城」のひとつに数えられたとも言われ(残りの5城は知りませんが、小学生だった私は少なくとも掛川城を「日本六ヶ所名城」と記憶しました)、小さいながらもなかなかよくできたお城だったようです。現在建つ天守は平成になって、地元有志の寄付等により10億円を要して建てられた木造復元天守です。発掘調査の結果ならびに古図面、さらには山内一豊の高知城(高知城の初期天守は掛川城天守を模したと言われ、現在の高知城天守は初期天守を基に再建したと言われているため)を参考にしながら作られました。
天守に比べると地味な太鼓櫓はもとは三重櫓で、三の丸にあったものを本丸に移築しています。極めつけは二の丸御殿。旧態を保つ御殿としては二条城等と並ぶ貴重なもので、重要文化財指定を受けています。ちなみに高知城にも御殿建築が残っているあたり、掛川と高知にはひとかたならぬ共通点を感じたりします。
大手門は移築された油山寺山門をベースに再建されましたが、そういえば油山寺の山門を見たことがないな、ということで、後日、遠州お城巡りのついでに立ち寄りました。油山寺山門自体も一度は寺院建築風に改築された後、よりお城の大手門に近い形で復元されましたので、それはもう城門そのもの。当たり前ですが、再建された掛川城大手門と瓜二つでした。ちなみに再建された大手門は原位置とは異なる場所に立っていますが、原位置は現在の大手門手前の道路と、とある商店の店内に丸い印で示されていますのでぜひ探してみてください。
Data
ランク 100名城、100選、静岡県3位
天守(再建)、櫓(現存)、門(復元)、御殿(重文)
創築:文明(1469〜1487)年間、朝比奈泰煕 改築:天正18(1590)年、山内一豊
山内氏、松平(久松)氏、安藤氏、朝倉氏、青山氏、松平(桜井)氏、本多氏、松平(藤井)氏、北条氏、井伊氏、小笠原氏、太田氏(掛川藩、50000石)
※同一家による藩主返り咲きは割愛。
掛川駅からまっすぐ北に延びる道を進めば、いやでも掛川城の天守が目に入ります。駐車場も完備、さすがは日本100名城といった整備状況です。

掛川城フォトギャラリー





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