葛山城・葛山館
かづらやまじょう・かづらやまやかた

所在地:静岡県裾野市葛山
最終更新日:2022.8.3

<2011.9.19記>
学生の頃、私が入った日本史のゼミで、
「惜しいなあ。1年前に君がゼミにいてくれたら、君にぴったりの春合宿だったんだが・・・」
と今は亡き担当教官が仰っていたのが葛山城でした。
なんでも花見をしながら、葛山氏の歴史に想いを馳せたのだとか。ああ、なんと羨ましい・・・
それから20年近くも訪ねることなく不義理をしたお城でしたが、何年か前の、mixi城めぐコミュの「全国一斉お城の日」に合わせて、何人かで訪ねました。行ってみるとこれがなかなかのもの。小さいながらも山城としてよくまとまっていて、本丸の入口の階段の脇に小さな区画を見つけ、
「武者溜りだよね」
などとうなずき合いながら歩き回ったものでした。
複数のお城好きと山城を周るのもなかなか楽しいもんだな・・とつくづく思ったのもこのお城。
なんとなく、このお城はそういう小集団で行くのには、非常に適しているお城のような気がしました。

葛山城は、葛山氏のお城です。麓の仙年寺は葛山氏の菩提寺であり、仙年寺の少し先には土塁で囲まれた区画がいつくか存在し、その中で一番大きな土塁が「葛山氏館跡」として保存されています(中は畑ですが)。葛山氏館の周囲に連なる区画は家臣団あるいは一族の屋敷跡と伝えられ、屋敷跡として伝承される苗字と、現在その地のお住まいの方の何軒かの苗字が一致しているため、本当に代々こちらにお住まいなのではないかとも言われています。葛山氏一族は江戸時代には帰農したようですから、恐らくそのままお住まいなのでしょう。
葛山氏そのものは藤原氏の出で、小田原に権勢を誇った大森氏と同族なのだとか。室町幕府の「奉公衆」としてその名を留めていますので、守護勢力からも半独立の立場を取って幕府に直属していた、江戸時代で言えば「旗本」みたいな存在だったようです。駿河国の東端というその地理的重要性から、戦国末期には武田・今川・北条の勢力争いに翻弄され、武田信玄の時代には当主・葛山氏元が武田信玄に謀殺され、娘は側室に奪われる(?)という、なかなか乱暴な事件がありまして、更には武田氏から家督相続者(信玄の子・信貞)を送り込まれ、最後はうやむやになって終わります。武家としての葛山氏は、武田氏に実権を奪われた後、武田氏と運命を共にしたとみるべきなのでしょう。
このお城は、葛山氏によって築かれ、葛山氏とともに滅びたと推察されます。葛山氏自体が歴史の表舞台からフェードアウトしてしまったせいか、葛山城がいつ頃築かれてどうなったのかについてはよくわかりません。ただ、変にいろんな武将の手が加えられなかったことで、山上に残る城郭は平時の館に対する典型的な「詰めの城」として、よくその面影を残していると言えるでしょう。特徴的なのは、本丸の周囲をぐるりと回る腰曲輪と、北側斜面に残る「伝・畝状竪堀」。畝状竪堀は他の地域で見られるような整然としたものではなく、北側の緩斜面を不規則に切り刻んだもののようで、考えようによっては畝状縦堀の先駆け的な存在なのかもしれません。

<2022.8.3記>
2022年の冬、ミニオフ会で久しぶりに葛山城を再訪しました。今こうやって「城をやる」を更新しながら過去の記録を振り返ると、筆者はここには一人で来たことがないようです。10年以上前に書き残した文章でも「小集団で行くのに最適」なんて記載していますので、筆者の中ではこのお城は「オフ会で行くお城」と位置付けられているみたいです。確かに登城口から続く地味に長い直登的な登城路が地味に辛いことを除けば、整備は行き届いていますし何より縄張が美しくて。両端を二重堀切で画した明確な城域の設定や、主郭下の堀底道をぐるっと半周させた上で逆方向へと梶を切らせて主郭に至る登城ルートはいかにも実戦的で、堀底道の反対側を乱雑に刻み込む連続竪堀とも相俟って、それはもう機能美の極致と言っても差し支えない世界。これだけの構造をコンパクトに纏め上げた築城者はさぞ卓越した城郭設計思想の持ち主であったことでしょう。それを葛山氏オリジナルと考えるのは城郭史学的にもさすがに無理がありそうなので、これこそ最終形は(実質的に葛山氏を乗っ取った)武田氏によるものと考えたくなります。
そういう目で改めて葛山城を眺めてみると、少なくとも現在の遺構は隅から隅まで一貫性が認められ、「もともとあった何かを誰かが改修した」ような痕跡が見当たりません。もともとあったお城を影も形もないくらいにぶっ壊したり埋めたりして新しいお城を築くのは、何もないところにお城を築くより更に難しいような気もします。まあ武田氏ならもともとあったものを顧みることなど一切なく、全く新しいお城を築いてもおかしくない人たちではあるのですが(笑)、葛山氏を軸とする居館、居城の変遷については周辺の諸城・諸館(葛山かくれ城とか大畑城とか葛山居館群とか)との兼ね合いをも踏まえた上で、より慎重に考えるべきところだと思いました。次の研究テーマは、ここかなあ。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:不詳、葛山氏
葛山氏
麓の仙年寺が目印です。ここからまっすぐにお城に登る道が設けられています。あまりに直線的な直登路なので地味にしんどいですが、最短距離でお城に近づける有難さもあります(登城路含め、整備状況は完璧です)。車は仙年寺の広い駐車場を有難く使わせて頂けると思います。

葛山城フォトギャラリー





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