八幡平の城(新野古城)・篠ヶ谷砦
はちまんたいらのしろ(にいのこじょう)・しのがやとりで


八幡平の城(新野古城)

篠ヶ谷砦


所在地:静岡県御前崎市新野
最終更新日:2018.2.12

   
<2018.2.12>
八幡平の城は、20年くらい前までは「新野古城」という呼び方の方が普通だったと思います。古城があれば新城もあるわけですが、「新野新城」は現在「舟ヶ谷の城山」と呼ばれることの方が多くなりました。古城・新城とはいうものの、新旧を示す根拠が不明確であることがその理由かな、と思います。
八幡平の城が所在する地域は新野と呼ばれ、古くは国人領主・新野氏の本拠地でした。新野氏の中では新野佐馬助が大河ドラマ「直虎」でも地味ながら重要な役割を果たしていましたね。今川氏による目付という立場にありながら、井伊氏存続のために奔走する新野氏は戦国時代には稀な律義者、という評価です。そんな新野氏に結び付けたいという気持ちも「新野古城」という表記に現れているのだと思いますが、八幡平の城にも舟ヶ谷の城山にも新野氏と直接結びつけられる根拠がありません。
静岡古城研究会の丹念な探索によって、八幡平の城の東側尾根続きにあたる篠ヶ谷の山林に、城郭遺構が見つかりました。同研究会によって篠ヶ谷砦と名付けられたこの遺構は、一見すると八幡平の城の一部とも見えなくはないのですが、細かく見てみると防御の向きが八幡平の城に向いている部分もあるため、八幡平の城とは別の砦であるという結論に至りました。尾根筋を何本かの堀切で遮断し、斜めに土橋をかけて防御性を高めている点は、近隣の天ヶ谷の城山にも見られる技巧です。現在、これらの遺構は高天神城への兵站確保を企図した武田氏によって築かれたものと考えられており、八幡平の城にも横堀の入り方などから、武田氏の手が入っているものと思われます。
そうした考察はあるものの、八幡平の城の主郭には大河ドラマ「直虎」に新野佐馬助が登場したことを祝して、コナラの植樹が行われたようです。新野氏との繋がりも、まだまだ非常に強いものを感じますね。もちろん、八幡平の城が新野氏と全く無関係であると証明する材料もありません。
ランク -
土塁、堀
不詳
新野氏、武田氏
アクセス
八幡平の城(新野古城)

篠ヶ谷砦
八幡平の城の南側の谷にある想持院の駐車場に車を停め、案内板に沿ってハイキングコースを登るのが最も簡単です。八幡平の城の東端にある二重堀切をそのまま東に進むと、尾根筋に数本の堀切が現れます。そこから先の茶畑までが篠ヶ谷砦です。篠ヶ谷砦の北側にも八幡平の城までのハイキングコース入口を示す案内板が付けられています。車での訪城で、もと来た道へ引き返すことを前提としたら、こちらの方が高低差が少なくて楽ですね。


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