天方新城
あまがたしんじょう



所在地:静岡県周智郡森町向天方
最終更新日:2017.6.21

   
<2017.6.21記>
天方にはお城が三つあります。天方白山城、天方本城、それにこの天方新城です。いずれも天方氏のお城ですが、時代が進むにつれて天方本城、天方白山城、天方新城の順に築かれていったようです。天方本城は飯田城にあった山内氏の一族であった山内通秀が天方氏を称したことに始まり、14世紀後半頃から歴史上に天方氏が登場するようになります。15世紀の後半、遠州守護斯波氏の領内が駿河守護今川氏によって次第に蚕食される中、天方通季は今川氏に属しますが、斯波氏の逆襲を受けて天方を明け渡します。後に今川氏の助けを借りて天方を奪還した通季が改めて築きなおしたお城が天方白山城。更に時代が下って16世紀の中頃になって更なる要害の地を求めて新たに築いたのが天方新城、というわけです。永禄3(1560)年に桶狭間の戦いが起きて今川義元が倒れた後も、天方氏は今川氏に属し続けていましたが、徳川家康が遠州に侵攻するに至って、山内氏の飯田城もろとも天方城は陥落します。天方通興は許されて徳川氏の支配下で天方城に居住しますが、今度は武田信玄が遠州に侵攻。武田の大軍の前に天方通興はなすすべもなく城を捨て、天方城は武田氏に接収されました。現在見る天方城の遺構はこの時武田氏によって修築されたものとするのが一般的で、そう考えれば武田氏の城郭に典型的な横堀を備えた「武田系」のお城と見ることにそれほどの違和感はありません。ただ、横堀はそれでよいとしても、だとしたらもともとの天方氏の天方城はどんな形だったのでしょう。案外武田氏が手を入れた部分は少ないのではないかしらん、というのが私見ではあります。
天方城は「城ヶ平公園」として開放されています。二郭まで車で登ることができます(二郭を壊して駐車場を作ったといえばそれまでですが)。ただ、山上までの道が何しろ狭いです。私はオフ会の案内で10人乗りの車で挑み、見事登り切りましたので(笑)自動車の通行に支障はないはずですが、何しろ道が狭いのでひやひやします。
駐車場から主郭へと一段登ると、緩やかな曲線を描く見事な横堀を目にすることができます。オフ会の下見のため、一人で訪ねた時はちょうど紅葉が見ごろを過ぎたころでしたが、真っ赤な紅葉の葉が堀底に広がって、まるで堀が血を流しているようでした。主郭の横堀があまりにも見事なのでついついそちらに目がいきますが、二郭の横堀もそれなりに残存していますので見忘れないように。あと、展望台からの景色も最高です。浜松まで丸見えですね。ここを武田氏に押さえられた徳川家康はそれこそ気が気ではなかったことでしょう。
ランク 町史跡
土塁、堀
創築:永禄年間(1558〜1570年)、天方通興
天方氏
アクセス 森町の役場がある市街地から太田川を渡ると、天方城への案内看板が至る所につけられていますので、まず迷うことはなさそうです(城ヶ平公園はカーナビで示せませんので、近隣のランドマークを適宜選択する必要があります。私は「ときわ保育園」を活用させて頂いています)。
本文にも記した通り、道幅は大変狭いですが山上まで一応舗装道路がついています。ついてしまえば駐車場は広いしトイレもあるし展望台もあるし、まずまず行き届いた公園と言えます。


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