安土城
あづちじょう



所在地:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
最終更新日:2020.5.4

織田信長のお城です。信長が作り、信長の死とともに灰になり、そのまま歴史の影に埋もれていったというだけで歴史のロマンがてんこもりです。天正4(1576)年から3年がかりで築城され、その3年後の天正10(1582)年には信長が本能寺に倒れます。安土城の歴史は、どんなに長く見ても、たったの6年間です。
たった6年存在しただけのこのお城には、お城というものの概念を根底から覆す発想がいくつも盛り込まれました。総石垣や天主(天守)のように、大なり小なり安土城をモデルとして全国各地へと広がってゆく契機となったものがあるかと思えば、本丸に京都御所と同じプランと思しき建造物をこしらえたり、全ての宗教を包含するという意味を持つ「総見寺」というお寺を城内に取り込むなど、後にも先にもこのお城だけ・・といった独創的な意匠もふんだんに盛り込まれました。とはいえ、かつては安土城の独自性を説明する際によく用いられた「本丸に向かって山の下からまっすぐに伸びる石段」は、安土城の前身とも言える小牧山城にも用いられていることがわかってきましたから、安土城といえども端から端まで突然変異、ということでもないようです。
安土城は1989年から20年計画で発掘調査が行われており、まだまだ新たな発見があるはずです。かつては4本あったといわれる登城路も、今では2本しか使われていません(入場は一ヶ所のみ)。通行不能になっている2本の道に伴う施設の調査はこれからですし、まだまだ新たな発見があることでしょう。

<2013.2.9記>
幼い頃から城好きだった私が、初めてお城に「点数」をつけたのは、小学校の高学年だった頃だと思います。10点満点で得点をつけましたが、10点を付けたのはたしか3城。姫路城、熊本城と並び、当時の最高点を叩きだしたのがこの安土城でした。織田信長というスーパーヒーローによって、高々と石垣を積み上げられた斬新なこのお城は、小学生だった私の心にも「ぐさっ」と突き刺さるものだったようです。その気持ちは、今もあまり変わることがありません。
初めて訪ねたのは大学生の頃。高校野球の応援の道すがら、各駅停車の途中下車で、駆け足で訪問したのが最初です。ビデオを撮りながら登った映像が残っているはずで、息を弾ませながら、「こんちくしょう。目の前に憧れの城があるのに、えいこら、足が・・・進まねえ。」みたいなことを呟いていたのではないかと。振り返るのも恥ずかしいですが。
20代の頃から苦戦してきた安土城の石段に再び挑んだのは、2012年の冬。残雪まばらなお城の道を、閉門時間を気にしながら、やっぱり駆け足で。最初の訪城から20年以上が経過したその時も、安土城はやっぱり何も変わらず、そこにありました。来る者の息をさんざん切らせておきながら、「どうだ?きついか?」とにやけている信長の顔が浮かぶようで、私はやっぱりつぶやきます。「こんちくしょう・・・」と。

<2020.5.4記>
先日「みんなのランキング」でお城マイスターとしてお城ランキングを付ける機会に恵まれました。安土城を姫路城、熊本城に次ぐ3位に位置づけたのは、小学生の頃にこの三城をトップスリーとしたような記憶があったからなのですが、7年前に書いた上の文章を読むと確かにそう書いてありますね。三つ子の魂、百までも。安土城は今でも私の中でトップスリーです。
2020年の正月に安土城を再訪し、「天下布武」のお札なんぞを買い求めてきたのですが、例によってふうふう大手筋を登っているとき、同行してくれた連れ合いをふと見やったら、何やらぶつぶつ呟いています。何やらぶつぶつ呟いています。耳を澄ませば「おのれ信長」。ああ、やっぱりこの石段には悪態をつきたくなるんですね。
Data
ランク 特別史跡、100名城、100選、百選、こんな城、滋賀県2位
石垣、堀
創築:天正7(1579)年、織田信長
織田氏
JR安土駅から徒歩30分くらいですが、駅前のレンタサイクルを活用すると便利です。車なら大手口正面に大きな駐車場が用意されています。
100名城スタンプは大手の登城口のほか、安土城郭資料館、「安土城天守 信長の館」、安土城跡ガイダンス施設の計4ヶ所に設けられています。

安土城フォトギャラリー





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