山口城
やまぐちじょう

(埼玉県所沢市)
最終更新日:2014.11.22

地図

<2014.11.22記>
かつて、所沢市に住んでいたことがありました。買い物か何かで車を走らせていたある日、交差点の名前が「山口城址」であることに気づき、はっとなってあたりを見回しました。
道路の北側で発掘調査をやっていて、そこには中世武家館の堀とおぼしき溝の跡が検出されていました。道路の南側にも、そして西側にも土塁のようなものがあり、直感的に、
「ああ、この交差点はお城の真っ只中を分断しているんだ。」
と気づきました。
でもそれから、山口城を訪れることは一度もないまま、2年近く過ごした所沢を後にしたのです。
9歳でお城に目覚めながら、一番お城に覚めていた頃のことでした。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:平安末期?、山口家継
山口氏
武蔵七党の流れをくむ山口氏が、長らく本拠地にしたお城です。伝承が本当であれば、いわゆる武士団が勃興してから戦国時代まで何等かの形で山口氏が使い続けたお城ということになりますから、首都圏にあってほんのわずかでも遺構が残っていること自体が貴重と言えるでしょう。道路と線路によって城跡は分断され、商業施設や住宅に埋もれる運命だったのですが、地元での保存運動の成果が実り、商業施設の駐車場脇に土塁が残される形となりました。昨今のお城ブームが勃興するより前の出来事ですから、素晴らしい運動だったのではないかと思います。
お城は平安末期から15世紀まで、すなわち山口氏がより防御性の高い館(根古屋城)に移るまでの間、山口氏の本城として使われ続けたようです。14世紀には武蔵平一揆(1368年)の余波で山口城が落城したというような記録もあったりします。その最後は他の多くの関東の城郭と同じく、小田原の役の頃と考えられます。





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