蕨城
わらびじょう



所在地:埼玉県蕨市中央
最終更新日:2017.9.13

   
<2017.9.13記>
蕨城は地名で言うと蕨市中央にあり、文字通り蕨市の中心に位置しています。蕨市は、はた目には周辺の市町と統合してもよさそうな規模感ですが、蕨城と隣接する和樂備神社を中心とする蕨市の地勢と歴史は、他自治体との安易な統合を受け付けないほどの独自なものなのかもしれません。あくまではた目から見た話ですが。
蕨城は蕨城址公園として開放されています。町中にある城址公園なので、名ばかりの公園かと思って訪ねると案外そうでもなく、公園の周囲を囲む土塁はれっきとした現存遺構。都市化の波に洗われることなく、中心部分をまるまる残すことができた点で、蕨城もまた貴重なお城と言えるでしょう。
蕨城はもともとこの地域に勢力を保っていた渋川氏の持ち城でした。渋川氏はもともと足利一門ですから名門なのですが、上杉氏や太田氏、後北条氏等の勢力争いに巻き込まれてさんざんな目に遭った挙句、三船山合戦(永禄10(1567)年)で当主が討ち死にしたことで一族離散の憂き目に遭いました。渋川氏滅亡後、蕨城はそのまま放置されたようですが、江戸時代になって徳川将軍家の鷹狩り御殿として再生しました。この際、旧来の蕨城の縄張りがほぼそのまま活用されたようで、結果としてこの御殿の存在が、現在まで蕨城の主郭部を開発の波から守る一因になったものと思われます。「蕨御殿の図」という図面が残されていますが、そこには方形の主郭と馬出し、それにいくつかの副郭から構成される、洗練された中世城郭の縄張りが記されています。
とはいえ現在の蕨城はただの公園と言ってしまえばただの公園。私が訪ねた際にも子供連れのお母さんが沢山いらっしゃって、一人でカメラを構えて公園内をうろうろしているおっさんはひどく奇異に映っていたようです。散策の際はお気をつけて。
ランク 埼玉県旧跡
土塁
創築:南北朝時代、渋川義行
渋川氏
アクセス 蕨市役所の東側にある蕨城址公園と和樂備神社を目指せばまず迷うことはないでしょう。和樂備神社には駐車場もありますので、駐車料金代わりに神社にお賽銭を落としてから見学すれば、心が痛むこともないでしょう(笑)。


蕨城フォトギャラリー





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