金尾要害城
かなおようがいじょう

(埼玉県大里郡寄居町)
最終更新日:2016.10.12

地図

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<2016.10.12記>
お城仲間をご案内し、花園城・天神山城を巡るツアーを企画した際、お弁当を食べるのに適した城跡はないものかと探し回りました。その際、前々から気になっていたこのお城のことを思い出し、下見をしたところ実にいい感じで。ツアー当日は2月とは思えぬポカポカ陽気となり、360度近いパノラマの風景と美味しいお弁当とを堪能して頂きました。
お城としてよりも、「金尾山つつじ公園」として名が通った場所ですが、山頂近辺は案外お城としての色を濃く残しています。駐車場完備で整備も行き届いた公園ですので、長瀞方面に遊びに行かれる機会にはぜひお立ち寄りを。
Data
ランク -
石垣、切岸、堀
創築:天文元(1532)年、藤田重利
藤田氏、金尾氏
花園城を本拠とする藤田氏の支城群のひとつとして位置づけられています。新編武蔵風土記稿には金尾某という人物が在城したと記録されていますが、金尾氏の出自や属性は今一つよくわかりません。
このお城はその立地が重要でしょう。足元を秩父往還が通っていることから、このお城は秩父往還を封鎖する、あるいは監視する目的で構築されたものでしょう。また、このお城は恐ろしく眺望が利きますので、藤田氏の支配領域を繋ぐ連絡網としても重要な役割を担っていたことでしょう。
お城の構造は至ってシンプルですが、展望台が立つ櫓台は堂々としたもので、天守台と言われても違和感がありません。また、往時は随所に(あるいは全面に)石垣が築かれていたものらしく、ほとんど崩壊しているものの、今でもところどころに石垣の残欠を見ることができます。





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