深谷城
ふかやじょう

(埼玉県深谷市)
最終更新日:2014.11.5

地図

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<2013.9.23記>
深谷市のど真ん中にある深谷城跡公園は、今ではほとんど遺構もなく、そのほとんどが地下に埋もれているとの認識なのですが、2013年になって深谷城の一角が発掘され、障子堀らしい遺構が出たというニュースがでました。見学会も開かれたようで、参加された方の話では、その場所は深谷城跡公園とは少々距離を置いたところだったそうです。今も深谷市のど真ん中には、広大な城域を誇った深谷城が眠っているんですね。

<2014.11.4>
唐沢山城でオフ会を予定していた頃、その下見で佐野市を出て栃木県を離れ、群馬県を経て埼玉県まで足を伸ばしたことがありました。思ったのは、深谷という場所が案外新田荘や太田金山城に近いということ。埼玉県とか群馬県(昔でいうと武蔵国とか上野国)とかいうとなんだか離れていそうな気がするのですが、地理的には非常に近いのだなと感じ、関東の中世戦国史についてもなんとなく認識を新たにしたのでした。
初めて訪ねた深谷城は・・・思ったより「お城」でした。いや、まがい物の土塀と石垣があるということではなく、ちゃんと堀の跡があったりお城っぽい面積の公園があったりという意味で、妄想力をMAXにまで引き上げれば案外妄想できる場所なんだなという、そんな認識も持つに至ったのでした。
Data
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創築:康正2(1456)年、上杉房憲
上杉氏、松平(長沢)氏、酒井氏(深谷藩、10000石)
深谷上杉氏の上杉房憲が築き、その後ずっと深谷上杉氏の本拠地として存在し続けたお城のようです。上杉氏は何しろいっぱい一族が散らばっているので、深谷上杉氏といってもなんですかそれは?という感じなのですが、上杉4家(宅間、犬懸、山内、扇谷)のうちの山内上杉氏から更に分かれたのが深谷上杉氏らしく、山内上杉氏が越後の長尾家に家督を譲って(上杉謙信の誕生)からも関東に留まり、北条氏とともに小田原の役で没落するという運命を辿ったようです。ずっと地元にしがみついた挙句に小田原の役で没落の憂き目を見た一族って、結構多いんですよね。哀れ。
深谷城はその後、小藩・深谷藩のお城として暫くは存続していましたが、寛永4(1627)年に藩主の酒井氏が川越藩主の酒井氏の跡を継ぐこととなったのを機に廃藩となり、深谷城も廃城となったもののようです。その後は市街化の波に飲まれ、本丸の地がわずかに「深谷城跡公園」として名を残すことになりました。地上に残る遺構としては外堀の一部だけのようですが、2013年の発掘の例もあり、遺構そのものはまだ地下に眠っていることでしょう。





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