吉野ヶ里遺跡
よしのがりいせき

(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町)
最終更新日:2011.12.10

地図

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<2011.12.10記>
ちょうど私が大学に入った年に発掘が始まって、その価値が全国に知られるようになったのがその2年後くらいだったと思います。平成2(1990)年の卒業旅行でこの地を訪れた時は、まだまだ発掘調査の真っ最中で、ちょうど大型墳丘墓の発掘が終わったか終わらないかくらいの頃でした。
九州縦断旅行でこの地を経由地に選んだのは、100名城スタンプの設置場所だったこともありますが、城郭としてよりも何よりも、20年ほど前に訪ねたあの場所がどのように整備されたのか、特にあの大型墳丘墓がどのように整備されたのか、この目で確かめたかったこともありました。
実際にこの目で見た吉野ヶ里は、なるほど20年前より整備は進みましたが、広大すぎる敷地にしては少なすぎる観光客が気になりました。また、発掘当時は丸く膨らんだ丘だった大型墳丘墓の場所には、必要以上?に盛り土がなされ、かつての風情は失われてしまったような印象がありました。
折しも空は、雨から晴れへと変わる瞬間で、空全体が紫がかって、見るからに神々しい風景を演出していました。更にこの地の印象を強めたのは、山裾から天に向かって太く短く突き出した、虹。かつて神が治めたこの場所で、神の力をこの目で見たような、そんな錯覚を覚える虹でした。
Data
ランク 「100名城」「こんな城」
建物(復元)、堀
創築:弥生時代
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工業団地の建設に伴う事前調査で、弥生時代の大規模な環濠集落と集合墓が発見され、一躍全国区に名乗り出た遺跡です。それは単に弥生時代の環濠集落が完全な形で出土しただけではなく、この遺跡が邪馬台国九州説をある程度裏付けるものとして位置づけられたことにもよるものです。その歴史的価値が世間に認められたことによって、団地の建設予定地はまるごと史跡となり、全面保存の措置が取られることとなりました。
環濠集落としてのこの遺跡の特徴は、集落の出入り口に入り組んだ柵を配していることと、巨大な井楼をいくつか備えていること。それはまさに枡形門と櫓に通じるものであり、古代城柵としての価値も見いだされることとなりました。その結果、史跡登録上は「遺跡」であって「城館」でもない極めて珍しい例ではありますが、晴れて「日本100名城」の仲間入りを果たしています。





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