佐賀城
さがじょう

所在地:佐賀県佐賀市城内
最終更新日:2023.3.7

もともとは龍造寺氏の本拠地である村中城があった場所ですが、現在の城郭の形になったのは、佐賀藩が龍造寺氏ではなく鍋島氏のものであることが明確にされた慶長以降のこと。龍造寺氏に憚って、自身の本来の居住地であった蓮池城からなかなか動こうとしなかった鍋島直茂でしたが、「お前が藩主だ」と徳川幕府に認められたことで漸く佐賀城の築城に着手しました。出来上がったお城は、本丸こそ石垣で固められ、五層の天守も建てられる等、堂々たる近世城郭としての構えを有していましたが、本丸以外は基本的には簡素な作りとなっていたようです。佐賀の地はもともとが低湿地で、現在も無数のクリークが縦横無尽に走り回っていますが、ひとたび事が起きれば本丸以外を自ら水没させ、浮城となって外敵から身を守るという構想を持っていたようです。近世城郭で浮き沈み自在の機能を有していたお城というと、このお城以外には見当たらないのではないでしょうか。
現存建造物の「鯱の門」は、国の重要文化財に指定されています。明治になってから勃発した「佐賀の乱」により城内の建物の多くは焼失しましたが、この鯱の門だけは数々の弾痕を刻んだまま、現在まで残りました。
平成になって、本丸の地にあった小学校が移転し、その跡地に本丸御殿が復元されました。復元に際しては、藩主御座所と伝えられ、小学校の校舎としても用いられた「南水会館」の建物が旧来の位置に戻され、御殿の一部として公開されています。全国的に見ても珍しい、現存の御殿建築です。

<2011.11.15記>
初めて訪ねた学生の頃は、天守台の上に建物が乗っていて、本丸の敷地内には学校があって、建物の間に挟まれるような形で鯱の門があって、それはそれは窮屈そうなお城でした。それが、いつの間にか学校が移転して、天守台の上の建物が撤去されて、本丸の敷地には立派な御殿が立って、本丸の周囲の石垣も部分的ながら復元されて、近い将来には本丸の東側の堀も一部復元されるのだとか。時代は変わるものだな、と思います。と同時に、やればできるのだな、とも。失われたかのように見えたお城も、地域振興の柱としてきちんと見直せば、下手な文教施設よりもよっぽど郷土のためになる、ということの典型的な例だと思います。
2011年から3ヶ年計画で、天守台などの調査が進められるそうです。初年度の2011年には、天守台に入れられた試掘溝から、焼けた礎石が検出されたとのこと。これにより、佐賀城には天守が実在したことと、恐らく焼け落ちたであろうことが明らかになりました。あとは積年の謎である、「この天守は本丸のどこから入ったのか」が確認できれば、実に大きな発見だと思うのですが。
2007年に再訪した際、限られた時間の中ではありましたが、本丸御殿をじっくりと見学しました。御殿内にあった現代地図と城郭図面との重ね合わせに目を奪われ、30分くらい凝視してしまいました・・・時間がないのに。それでわかったのは、佐賀城の本丸は、少なくともその水路の位置だけは江戸時代から変わらずそこにあるということです。このお城、その気になればまだまだいくらでも元の姿に戻せそうなお城です。

<2018.12.2記>
100名城の押し直しで改めて訪ねた佐賀城は、本丸御殿に電子仕掛けの案内嬢が登場したり、城内の「ハート」を探す仕掛けが施されていたり(一応、全部見つけました)と、ある意味方向感を疑うような進化も遂げていましたが(^^;)、復元建築や復元石垣が落ち着いた色に変化するなど、一層趣のある城跡公園になっていました。噂に聞いていた本丸東側の堀も、綺麗な水堀になっていました。堀全体から見たらほんの少しの復元ですが、堀の復元自体が珍しいことでもあり、佐賀城の景観を取り戻すという意味ではものすごく大きな前進だったのではないかな、と、堀を眺めて思いました。

<2023.3.7記>
2022年の秋の一人旅。佐賀から福岡にかけてのエリアの城巡りをする予定で佐賀空港に入り、さてさてと移動を始めましたが、ついつい佐賀城に吸い込まれ(笑)。だめですねー。ここで時間を取られてしまうと勝尾城で巻きが入ってしまうのに(実際、入りましたw)。
本丸御殿は更に時間を取られる場所であることも過去の訪城時に学んでいますので、今回は御殿の外回りを軽く見て回るに留めました。と、目に入ったのが「小城」のオブジェ。
わー、小城だあ。
・・・・わかってます。わかってますとも。これは佐賀県小城市に関係するオブジェであって、筆者の名前とは何の関係もありません!でも後日、肥前名護屋城でガイドをされている福姫様とお話しさせて頂いた時、現地でこの小城オブジェについてtweetしたのをご覧頂いていたようで、オブジェの作者の方のお話も聞かせて頂きました。こんなお話が出来るのも、筆者がたまたま小城を名乗っていたからで、こういう経験もまた奇しきご縁と呼べるのかもしれません。たまたま立ち寄った佐賀城で、ほっこりした思い出をこしらえることができました。
Data
ランク 国史跡、100名城、100選、こんな城、佐賀県5位
御殿(一部現存、再建)、城門(現存)、石垣、堀
創築:慶長7(1602)年、鍋島直茂・勝茂
鍋島氏(佐賀藩、357,000石)
佐賀駅から南にまっすぐ2kmほどで佐賀城の本丸御殿まで辿り着けます。自動車でも各所に案内標識が出ていますので問題なく辿り着けるでしょう。鯱の門の手前に十分大きな駐車場があります。


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