名護屋城
なごやじょう

所在地:佐賀県唐津市鎮西町名護屋
最終更新日:2023.4.26

<2015.7.27記>
名護屋城は、雨。恐れていた、雨の中での訪城となりました。
これだけオープンで広大なお城を、雨中に散策するのは容易なことではありません。
雨に折れそうな心に追い打ちをかけたのが、「100名城スタンプ帳忘れ」。まったく、何しに来たのやら。これで名護屋城の再訪は確定となりました。
ただ、ひとつだけいいことが。雨に濡れた石垣はそれなりに絵になるもので、おかげで風情のある写真が結構撮れました。

<2019.1.3追記>
これほどまでに築城の歴史がはっきりしている巨大城郭も珍しいでしょう。朝鮮出兵を決断した豊臣秀吉が天正19(1591)年から九州の諸大名に命じて築かせたことは諸文献から間違いのないところです。そして何回かの改築は経ているものの、慶長7(1602)年には寺沢広高が名護屋城の廃材を用いて唐津城の築城に取り掛かっていますので、長く見積もっても10年そこそこの寿命しかなかったことになります。従ってここに残る縄張りの全てが、この10年そこそこの間の歴史的指標となり得ます。それだけでも十分貴重ですが、この城のすごいところは周辺に全国諸大名の陣城がびっしりと敷き詰められているということ。確認されているだけでも118ヶ所の陣城が存在し、そのうち特別史跡に指定されたのが名護屋城本体以外に23ヶ所を数えるというものすごさ。その陣城のそれぞれに、諸将の思惑や意識、立場のようなものが現れているように見えますので、時間があればできるだけ沢山の陣城を巡ってみることもお勧めです。
名護屋城には語りつくせないほどの逸話がありますが、特筆すべきはその平面プランの「石垣山城との類似性」でしょう。主郭入口の二重枡形や、二重枡形と天守との相対的な位置関係などは瓜二つ。石垣山城と名護屋城は、着工時期がほんの1年ほどしか違わず、「長期滞在型・かつ権力誇示型の陣城」という使用目的も基本的には同一です。石垣山城を何倍にも大きくした城というのが、名護屋城の基本プランと言えるでしょう。
なお、名護屋城は発掘成果から少なくとも2期に分かれることがわかっています。たった10年ほどの間に石垣再構築を伴う拡張工事を行っているのですから、その上に建っていた建物はほんの数年しか存在していなかったことになります。廃城に際してはいわゆる「破城」としての処置が施されました。破城の研究に際しては名護屋城の現在形が大いに参考になったことは言うまでもありません。名護屋城は、どんな角度から見ても城郭研究上の教科書のような存在です。

初訪問の後、2016年と2018年に改めて名護屋城を訪ねました。2016年は再び雨の訪城でしたが、2018年はついに天気に恵まれ、じっくりと城内を歩いて回ることができました。じっくり眺めて目についたのが「二重の石垣」。天正〜文禄期の石垣をそのまま埋めて、本丸を一回り大きくしたことを物語っています。もともと十分に大きかった本丸をわざわざ再拡張したのはどういう事情があったものなのでしょう。一段とグレードアップしたお城を秀吉に見せて喜んでもらおうと思ったのかなあ・・・などと考えてしまうのは、長いことサラリーマン生活を送ってきた人間ならではの感覚なのでしょうか。

<2023.4.26>
名護屋城にはガイドさんたちが沢山いらっしゃるのですが、2022年秋の城旅では、ブログ等で名護屋城関連の情報をいつも発信してくださる福姫さんにお目にかかることができました。それもこれもご一緒頂いたお城博士ちゃんのおかげです。お城博士ちゃんもはや中学生なのでぼちぼち「ちゃん」付けもいかがなものかと思いつつ、ネーミングの由来となっている某番組が「ちゃん」なのである意味致し方ないのかなと。そんなお城博士ちゃんご一家と一緒に旅行できるおかげで、旅先で今までににない出会いの機会を頂けることをも幸せに感じつつ、名護屋城をぐるっと一回りしてきました。
遊撃丸を歩いていたら、折しも天守台の上にガイドさんに案内された御一行様がご到着。ガイドさんが我々を指差しながら、
「ご覧ください。コアでディープな方々は、あんなに奥まで実際に足を運んでいらっしゃるんですよー。」
ガイドさん、遊撃丸にいる私達が誰なのかをご承知の上でアナウンスしているんですよね。あららら。なんともお恥ずかしい。
名護屋城をいつも以上にじっくり回りながら改めて石垣の石を見てみると、ずいぶん「失敗した」矢穴が多いことに気付きます。「目」を外して二重に矢穴を穿った挙句に割れなかった石とか、矢穴を穿つべき場所に印をつけただけで諦めてしまった石とか。いわゆる失敗矢穴は矢穴が見られるほぼ全てのお城で見ることができると思いますが、名護屋城の失敗矢穴はずいぶん目立つ気がします。割れない矢穴の存在はそれだけ工事の粗さを示しているようにも思えますので、もしかしたら突貫工事で仕上げなければならない宿命を負った大城郭・名護屋城ならではの光景なのかもしれませんね。
Data
ランク 特別史跡、100名城、百選、こんな城
石垣、堀
創築:天正19(1591)年、豊臣秀吉
豊臣氏
名護屋城博物館にまず立ち寄りましょう。車が置けるのはもちろんのこと、スタンプも博物館内に設置されています。城域は広いので、解説ボランティアの方にお願いして効率よく見学するのもお勧めです。


名護屋城フォトギャラリー






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