姉川城
あねがわじょう

所在地:佐賀県神埼市神埼町姉川
最終更新日:2023.3.12

<2016.4.7記>
神埼市のあたりを旅行で訪ねた際、とにもかくにも行ってみようと思ったのが姉川城でした。このあたりに数多く存在するクリーク型のお城の中で唯一、国の史跡に指定されているお城でしたから。ところが行ってみると案内看板は見つからないし、城域に入ってもあまりにも平面的でどこが何やらよくわからなくて、一枚も写真を撮らずに引き返してしまいました。
見学するなら、近郊の横武城直鳥城の方がずっと適しています。

姉川城を本拠とした姉川氏は菊池氏の一族で、姉川氏の祖となる菊池武安なる人物が14世紀の正平年間に築城したのが姉川城の始まりなのだそうです。姉川氏は龍造寺氏・鍋島氏に仕えて佐賀藩士として存続するようで、姉川氏が姉川城を離れた16世紀後半までの遺物が発掘調査でも検出されているそうです。発掘の結果、遺物は14世紀にまで遡るものもあることが確認されており、姉川氏によって長く使われたことを物語っています。
国史跡になったきっかけはこの地域で計画された圃場整備にあったようで、整備に先立つ調査の過程で中世城館としての姉川城の価値が再認識され、整備対象エリアから外されるとともに、史跡として末永く保存することが決められた、という経緯のようです。このお城がこの地域の他のお城と違うのは、一貫して姉川氏によって使用された歴然たる城館である(単なる環濠集落ではない)ということと、城館跡を示す地名がワンセットで残っていること、発掘によって数百年分の遺構が明らかになったこと、あたりにあるのだと推測できます。
お城は長方形の主郭を中心に、無数の小さな曲輪と堀が囲む、典型的なクリーク型城郭です。主郭には土塁がめぐらされていたようで、現在でも航空写真で見ると土塁の痕跡を見て取ることができます。

<2018.12.5記>
上の文章を書いた時には「写真はムリかも」と思ったものの、やっぱり気になって佐賀再訪の際、改めて立ち寄ってみました。かくして上の1枚を得たのではありますが、現地に立つとやっぱりただのクリークにしか見えません。土塁の痕跡はおろか、水面と平地とでさえも高低差を認めるのが難しいほどの平面っぷり。お城というのは何かしらの障壁なりが構築され、少なからず三次元的な構造になるものだという固定観念があるんですが、姉川城のそれはどこまでも二次元で、それこそドローンでも持って来なければこのお城の全貌を地上で理解することはできないと再認識しました。でも考えてみればそのような徹底した二次元構成(もちろん水堀には深さがあるので、地表面から地下に向かえば三次元の構造を有してはいます)こそがこのお城の特徴で、いざ攻めようと思えばこれだけクリークに囲まれたお城を攻め落とすのは至難だろう、とも思うのです。理解しがたい難攻不落の名城です。これは。

<2023.3.12記>
近くを通ると、寄る予定がなくてもついつい立ち寄らずにはいられない気分になるのが姉川城のいいところ。車で移動していると、カーナビに姉川城のシルエットが映し出されるんですよね。近くには同じようにクリークに囲まれ公園にもなっている横武城があるのですが、南に向かって広がった独特の形状は、まさしく唯一無二。ついついハンドルを回し、寄り道してしまうんですよね。車を停める場所がないことも分かっているはずなのに・・・(笑)。
姉川城の主郭南側には姉川天満神社が鎮座しています。これまた周囲をクリークに囲まれた狭くて細長い空間ですが、今回は天満神社の前に辛うじて車を停めることができました。ここには姉川城の案内看板も立てられています。今回初めて気付いた看板ですが、これ、以前からあったんですかね?
好天の秋空を青く映し出す、波一つない水面。姉川城を取り巻くクリークはどこまでも静かで、とてもここで戦があったとは思えないのどかさに包まれていました。
Data
ランク 国史跡
創築:正平15(1360)年、菊池武安
姉川氏
国道34号線を、神埼姉川郵便局のところで北に入り、暫く進むと右側に水堀と標柱が見えてきます。そのあたり一帯が姉川城ですが、駐車スペースがありませんので、車を降りる際は他の車の迷惑にならぬよう、ご注意ください。

姉川城フォトギャラリー
 





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