高槻城
たかつきじょう



所在地:大阪府高槻市城内町
最終更新日:2020.4.11
<2018.4.24記>
高山右近とキリシタンの街、高槻にはかつて街のど真ん中にお城がありましたが、近代化の波に飲まれてほぼすべてが地中に没してしまいました。江戸時代に藩庁として機能した近世城郭の中では全国でも十指に入ろうかという埋もれっぷりで、本丸跡に建てられた高山右近像だけが昔日の歴史を伝えている・・・
というのが、高槻を訪ねる前までの高槻城のイメージだったのですが、現地に行ってみると案外そうでもないんですね。街路の折れ曲がりは確かにそこに城があった面影を伝えてくれていますし、道路工事の際に掘り出された城門の石垣が道端にごろごろ転がっているのも、(悲しいけれども)いかにも廃城の感あり、です。お城の中心部は公園と学校、グラウンドといった公共施設に占められていますので、その気になれば例えば宇都宮城みたいな部分復元も可能でしょう。やるかどうかの問題だけでなく、やるべきかどうかという問題はありますが、町の中心部にあるお城を元に戻そうという動きは大なり小なり盛んになってきたような気がします。宇都宮城や川越城のようにもう一度土塁や堀を作り直すケースや、尼崎城みたいに隣地に改めて天守を作ろうとする動きもありますね。高山右近というキャラの立った武将を抱える高槻であれば、十分な町起こしの材料にもなるでしょう。
ただし、現在地中に眠っている高槻城は高山右近時代のそれではなく、徳川氏の治世下になって大坂城包囲網の一環として大改築された高槻城なので、高山右近とは時代も背景も全く異なります。お城を復元する、という姿勢に立つと、高槻城は永井氏のお城でなければなりませんね。そのあたりが実に難しいところです。府史跡ですしね。
高槻城は細川氏の被官となっていた入江氏のお城で、入江氏が衰退した後は和田氏、そして山氏と続き、豊臣氏直轄領を経て徳川大名のお城となります。内藤氏、土岐氏等を経て永井氏のお城となり、永井氏十三代で明治を迎えました。高槻城の石垣は鉄道敷設等に転用され、現在のようにすべてが地中に没することとなりました。ただ高槻城の移築建造物と伝わる建物が高槻市内に数ヶ所存在するそうです。

<2020.4.11記>
二度目の高槻城は、町歩きを兼ねての散策となりました。伝・移築門も見て門跡も見て公園に戻ってみたら、公園と周辺の土地との間に段差を見つけました。これって、お城に由来する段差ですよね。たぶん。
Data
ランク 府史跡
門(移築)
創築:14世紀? 入江氏 改築:元和年間、土岐氏
入江氏、和田氏、高山氏、新庄氏、内藤氏、土岐氏、松平(形原)氏、岡部氏、松平(形原)氏、永井氏
高槻城跡の北側に位置する高槻市立しろあと歴史館に車を置くのが便利でしょう。芥川山城の続100名城スタンプを押すこともできます。電車なら阪急京都線の高槻市駅から南に500mほど歩くと、そのあたりはもう高槻城内です。


高槻城フォトギャラリー





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