今帰仁城
なきじんぐすく



所在地:沖縄県国頭郡今帰仁村今泊
最終更新日:2019.6.22

   
<2017.3.3記>
今帰仁城までやってきたのは2度目でしたが、1度目は城内に入らなかったので、実質的には初めての訪問でした。前回、「あー銃眼が開いてるなあ」と思いつつ、指を加えて眺めただけの平郎門を2度目の訪問でついに潜り抜け、城内に入った時はちょっと感動ものでした。
何しろ広いお城です。平朗門から次第に標高を上げ、主郭へと辿り着いたところで終わりかと思ったら、その先にもまだ郭があって。
最奥部にある志慶真門郭は、段々にしつらえれた郭内に無数の掘立小屋が建てられて、ちょっとした村のようになっていたとの由。無骨な分厚い石垣も、中から見れば人々の暮らしを守る頼もしい城壁だったことでしょう。戦闘施設としてのお城とは一線を画す沖縄のグスクの本質が、この隠れ里のような郭に現れているような気がしました。
琉球王国の他の多くのグスクと同様、このグスクの主たちについても詳しいことはわかりません。ただ発掘によってこのグスクが13世紀後半から成立していたこと、14世紀にはいわゆる三山時代にあって北山王の本拠地として栄えたグスクであることは間違いありません。一応整理しておくと、北山王の本拠が今帰仁城であったのに対し、中山王が浦添城、南山王がたぶん島添大里城、ということになります。北山は南山の尚氏によって征服され、琉球王国が成立します。その後は琉球王国の監守(代官)が在城しますが、慶長14(1609)年に薩摩藩の侵攻を受けて今帰仁城は陥落し、監守不在のグスクとなります。それからはお城というより御嶽として信仰の中心となりました。現在も複数の御嶽が残されています。
今帰仁城は国史跡かつ世界遺産として大切に保護されています。麓の駐車場にはガイダンス施設も建設され、今帰仁城の歴史を簡単に紹介するビデオも上映されています。今帰仁城のことを大づかみに捉えるには最適ですので、ガイダンス施設に立ち寄ってからの散策をお勧めします。

<2019.6.22記>
2018年の夏に3度目の訪問を果たしましたが、台風によって石垣の一部が崩落したとの知らせがあり、はからずもその現場を視察するための訪問になってしまいました。崩落したのは、ちょうど掘立小屋が沢山出てきた志慶真門郭の上の石垣。その結果、志慶真門郭は立ち入り禁止となってしまいました。ある意味、今帰仁城の特徴を最もよく伝えている場所だと思いますので、また立ち入り見学ができるようになるとよいなあ、と思いました。
立入禁止区域が出来たからというわけではありませんが、今回は前回訪ねなかったエリアもくまなく歩きまわりました。改めて実感したのは、このグスクの広大さ。後に統一琉球王朝の王宮となる首里城には及びませんが、さすがは北山王の拠点となっていただけのことはあります。星形に突き出した石垣の突端部も、まるで稜堡式城郭を眺めているかのよう。見たところ、まだまだ発掘調査も続けられているようですので、まだまだ新たな発見があるかもしれませんし、公開範囲も更に広くなるのかもしれません。

ランク 世界遺産、国史跡、100名城、こんな城、沖縄県4位
石垣、門
創築:13世紀頃
北山王権
アクセス 今帰仁城そのものがこの地域のランドマークですので、今帰仁村に入ったらまず間違いなく今帰仁城に辿り着けます。駐車場も大変広いので、なるべくガイダンス施設に近いところに停めるのがよいかもしれません(かつては平朗門のすぐ近くまで車で行けたのですが)。


今帰仁城フォトギャラリー





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