津山城
つやまじょう



所在地:岡山県津山市山下
最終更新日:2019.8.18
<2012.7.27記>
確か兵庫県の某所に出張したついでだったのではないかと思います。そのまま現地に宿泊し、翌日の休日に津山城や三日月陣屋、龍野城などをとことこと見て回ったのでした。
季節は春。
津山の桜は瀬戸内のそれより更に一週間ほど遅く、期待していた満開の桜にはほど遠かったのですが、それでも春を待つ地元テレビのレポーターが城内を歩き回ったり、今ではどのお城でも見られるようになった「おもてなし隊」のような忍者軍団に会ったりと、なかなかに賑やかでした。
この初訪問の際に建築中であったのが、現在本丸石垣上に聳える「備中櫓」。二度目の訪問の際には完成直後の姿を見ることになったわけですが、早くもある程度落ち着いて、周囲の風景ともなじんできたかな、と思えるほどになっていました。
古くは山名氏の城郭(鶴山城)が存在したようですが、現在の津山城とはおよそ似ても似つかなかったものだと思いますので、ここでは森忠政が創築したものとしています。織田家の忠臣から豊臣氏、徳川氏と巧みに世渡りを果たしきった森氏は、18万石余の大封をもって津山の地に入り、この地に大城郭を構えます。四層とも五層とも取れる(五層天守の一重目を「庇」だと言い切って四層とし、お城は「でっかくない」との主張が幕府に対して行われたようです)南蛮造りの大天守を擁し、櫓の数でも全国屈指(77棟とも)の大城郭となりました。明治初年に写された古写真を見る限り、そのほとんどが江戸時代を通じて生き残ったようなので、これほどのお城が明治になって悉く解体されたのは、誠に惜しい限りです。残っていれば姫路城に勝るとも劣らない美しい名城で、間違いなく国宝級だったことでしょう。惜しい。。。
建物を失っても、このお城の価値には揺るぎがありません。鶴山全体をほぼ正方形に、三重に亘って囲み込む石垣の高さと精度は全国屈指。明治中期以降に城内に植えられた桜の木が、春ともなれば山全体を桜色に染めることでも、全国に名を知られるようになりました。平成17年に城内最大の櫓・備中櫓が再建されて後、天守を含む各建物の再建計画はゆっくりじっぐり進められています。古写真でしか見ることのできない壮麗な城郭に、いつかはまたお目にかかれる日が来るのかもしれません。高さだけでなく、美しさでも全国屈指の石垣が、建物を上に載せることでより多くの方の目に触れるのであれば、こんなに嬉しいことはありません。

<2019.8.18記>
100名城スタンプ二週目の旅で、津山城には三度目の訪問を果たしました。城内の木々が少し減ったような気がします。やっぱり、少しずつ整備が進められている印象ですね。
このお城の本丸御殿はちょっと変わっていました。本丸入り口の門を潜ったら、そのまま左にぐるっと回って、門脇の多門櫓に入り込むのが正規のルート。このまま備中櫓にもつながる多門櫓の中を渡り廊下のように通っていくと本丸御殿に至る構造になっていました。限られたスペースを最大限活用しながら、かつ本丸御殿までのルートを複雑化することにも成功しています。森忠政はお城が完成した際に支配領域内の旧国衆たちを本丸へと招待したそうですが、あの石垣群を目の当たりにした後、こんな鉄壁の本丸を見せつけられたら、それこそ一揆を起こす気すら失ってしまうのではないでしょうか。津山城は、兵力を用いず短期間で実効支配を確立するという森忠政の狙いが100%的中したお城でもあったということでしょう。
Data
ランク 国史跡、100名城、100選、百選、岡山県1位
櫓(再建)、石垣、堀
創築:慶長8(1603)年、森忠政
森氏、松平(越前)氏(津山藩、100000石)
  津山駅から吉井川を越えて600mほど進むと、右側に津山城(鶴山公園)が現れます。でっかいお城なので見失うことはないと思います。車なら鶴山公園の西側に駐車場が完備しています。城内は大きいので、想定しているよりも少し長めの見学時間を確保しておくとよいと思います。

津山城フォトギャラリー





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