<2012.7.28記>
撫川城と庭瀬城というふたつのお城が隣接していることを知ったのは、小6か中1の頃に無理を言って買ってもらった「探訪日本の城」全11巻を読破した頃のこと。庭瀬の駅から庭瀬城を探し歩いたある小説家が、道に迷っているうちに城跡らしい場所に辿り着くも、「撫川城」という石碑に「?」となり、やがて庭瀬城と隣接する別の城、撫川城の存在に気づくという展開が描かれていたと思います。とはいうものの、ふりがなのふられていなかったその本で覚えた記憶のままだったため、「撫川」を「なつかわ」と読むことに気づいたのは、この地の近隣に住む友人の助言あってのこと。危うく正しい読み方を知らないままで、撫川城を訪ねるところでした。
訪ねた日は大層暑い日で、夕方近くになっていたものの、それこそお堀の中にでも飛び込みたくなるような気温でした。と、お堀の中から、お城の前の小さな公園に出てきた白い影が二つ。見れば、あまりの暑さに耐えかねて、体操服のまま堀に飛び込んだ女子中学生の二人組らしく。誘ったとおぼしき片方の女子が、無理やり連れ込まれた感のあるもう一人の女子に向かってしきりに「ごめんね、ごめんね」と謝っている様子。やがて二人とも公園のベンチに横たわり、そのまま服を乾かしにかかったようでした。
後先考えず、思ったままを行動に移せるのは、若さの特権なのでしょう。汗をかきかき、私は本丸の跡へと立ち入り、ポストの中にあった案内パンフレットを一枚、有難く頂戴すると、そのまま次の目的地へと向かったのでした。
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