鬼ノ城
きのじょう

所在地:岡山県総社市黒尾
最終更新日:2022.4.5

<2012.6.23記>
日本100名城に名を連ねたからには一度訪ねてみなければ、ということで、岡山・広島旅行の際にコースに組み入れ、訪ねてきました。移動用に借りた軽自動車がひいひいと唸り声を上げ、今にも止まってしまうのでないかと思うくらいの急坂を登ると、やがて立派な駐車場が現れます。資料館でスタンプを入手し、夕闇があたりを包み込む頃に、見学を開始。
誰もいない鬼ノ城は、それこそまるで異郷の地のように、心細さを増幅させます。1000年以上もの歴史を秘めて、広大な城地のそのほとんどが未だ埋もれたままであり、そのくせ地上に現れた場所だけでも、そこがただならぬ場所であることを示しているかのようで。
明らかに戦国のものとは違う、垂直で曲線的な石垣。これだけ長くの時を経て、なお盤石の固さを保ち続ける、築地塀。石垣の間を埋める築地塀は、復元された門とともに復元されたそれではなく、散策路の途中で見つけたもの。気づかなければ、周囲の土と同じいろのその塀は、ただの崖にしか見えないことでしょう。江戸時代の土塀ですら容赦なく土に還ろうかという現代にあって、この堅固さは、むしろ異常。
東のはずれの石垣の跡の、その先にある谷を覗くと、覗いた時にだけ滝の音が聞こえました。
どどど・・・
間違いなく足下に滝があり、その音は直線的に、石垣のあるところから身を乗り出さないと聞こえない場所から響いている、と、頭ではわかっていても、誰もいない夕暮れの鬼ノ城のこと、それは私に、
「来るな、こっちに来るな」
とでも呟いているようで、真夏だというのに身震いがするほどでした。

<2022.4.5記>
鬼ノ城は正式な歴史書にはその記述がなく、客観的には663年の白村江の戦いで、日本が朝鮮半島において大敗を喫し、日本への逆襲の可能性が生じた頃に、日本を守る目的で築かれた「朝鮮式山城」のひとつであると考えられています。一方、地元には、朝鮮半島の古代王国「百済」の王子・温羅(うら)がこの地に城郭を構え、時に山賊のような略奪行為を繰り広げたことから、「恐ろしい鬼が棲む城」として「鬼ノ城」と呼ばれてきたとの伝承もあります。果ては桃太郎伝説(常ならぬ力を持った出自不明の若者が、正体不明の部下を引き連れ異国の鬼を退治する物語)との関連も指摘されるなど、「敵方(=日本ではない)」と考えられる要素もあり、大和朝廷によって築かれた一連の朝鮮式山城とは一線を画する考え方もできなくはありません。誰によって使用されたものであるかは、今後の発掘成果によるほかありません。
城域は広く、鬼ノ城山の周囲におよそ2.8kmに及ぶ城壁を有しており、随所に石垣や水門が築かれています。石垣についてもそのすべてが発掘されているわけではありませんが、現在見えている箇所だけでも高さ6mに及ぶものもあり、底部を石畳で固め、石垣上部には築地塀(一部現存)を配するなど、入念な工作の跡が伺えます。門跡についても門の内部が覗き込めない構造(蔀)を有するなど、鉄壁の守りです。築堤を伴う溜池が発見されたとのニュースが10年くらい前にありましたが、まだまだこれからも新たな発見がありそうです。
鬼ノ城はすぐ近くの道路沿いにビジターセンターがあって、大きな駐車場もあるのですが、そこまでの道が狭くて急です。そもそもが緩斜面であることの裏返し名のではないかと思うのですが、山に向かって真っすぐに伸びていく道路って、なかなかないですよね。まさかの自動車版直登ルート。初めて訪ねた際には軽自動車のギア設定がまずかったのか、坂の途中でエンジンが止まりました(笑)。鬼ノ城の遊歩道も一筋縄ではいきません。そもそも一本道ではない上に、石垣周回のコースを辿ると礎石建物群を見逃します。多少非効率でも一筆書きを諦めて、一周半を費やす覚悟で散策しないとその全貌を見ることができない、やっかいなお城です。そのため、見学には案外時間を要することになりますね。
2021年に訪ねた際には、それまで快晴だったお天気が急に崩れ出し、まさかの雨となりました。前回も不思議な滝の音を聞きましたし、やっぱりこのお城、何かがあるんじゃないかと思います。
Data
ランク 国史跡、100名城、百選、こんな城、岡山県4位
門(再建)、塀(現存、再建)、石垣
創築:7世紀?
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砂川公園という大きな公園を過ぎた先に鬼ノ城があります。案内看板は沢山出ていますので、車なら迷うことはないと思います。ただ道は狭くかつ急なので、くれぐれも運転にはご注意ください。

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