岡城
おかじょう

所在地:大分県竹田市竹田
最終更新日:2019.4.27

<2016.3.28記>
大分市内のお城を巡った後、100名城スタンプを押すために、竹田市へと車を進めました。100名城スタンプを押そうとするとどうしてもそのお城に「入城」しなければならなくなりますので、営業時間との戦いになってしまいます。この時も効率の悪さを承知の上で、大分からいったん竹田市に入って岡城を攻め、それから引き返して臼杵城に行くというコースを辿ることになりました。
岡城を訪ねた日は空がとっても綺麗で、白い石垣に青空が映えて、どこを撮っても絵になりそうな感じ。
・・・岡城って、こんなにすごいお城だったっけ?
高石垣がすごいお城とは理解していましたが、広い城域の端から端まで、こんなにびっしりと堅固な石垣で固めたお城だとは思いませんでした。おかげで滞在時間が延びる延びる・・・(大汗)
特に印象に残ったのが、城内に残る土蔵の跡。土蔵の壁の基礎部分だけが残っているのですが、あと100年もすれば跡形もなくただの土に還るのでしょう。なす術もなくただ溶け行くばかりの土蔵の姿に、時の流れのはかなさを感じずにはいられません。
岡城の歴史は古く、文治元(1185)年、緒方惟義が源義経を迎えるために築いたのが最初だというのですから相当古いです。南北朝時代には志賀氏の持ち城になっており、志賀氏は豊臣秀吉の九州攻めの直前まで岡城で島津軍を支えていましたから、志賀氏も相当長い期間、岡城に居住していたことになります。
大友氏が文禄の役の不始末によって改易された際、岡城の志賀氏も大友氏と一緒に豊後を退去します。そのあとに入ったのがもとは摂津の大名・中川秀成。賤ヶ岳の戦いで犠牲になった中川清秀の息子です。この中川氏がそのまま明治まで岡藩で過ごしますから、岡城というのは700年の間にたった3家しか居住していないという恐ろしく息の長いお城ということになります。
現在の岡城は、文禄2(1594)年から3年ほどかけて石垣を構築したものと言われていますが、あれだけ広い城域を3年ほどの短期間に石垣で固めることは不可能と思えるので、江戸時代を通じてこつこつと拡張され続けたのでしょう。石垣の積み方も一見して相当新しく感じられますので、かなり大規模に修復され続けたようにも思えます。
天守に相当する御三階櫓は明和年間に一度焼失しますが、それから数年後の安永3(1774)年には再建されています。こうしたあたりからも、岡藩がお城をまめに手入れしていた事実と、更に言えばそれを実現させるだけの経済力を有していたことが想像できます。
岡城は明治になって全ての建物が取り壊されましたが、見事な石垣だけは残りました。その光景はまさに滝廉太郎がいうところの「荒城」そのものだったことでしょう。日出城下に生まれた滝廉太郎は、父の異動に伴って竹田市に居住し、岡城を眺めてくらしていました。そんなご縁で、現在日出城と岡城には同じ形の滝廉太郎像が建てられています。
さてお城の構造ですが、近世城郭が乗るには比較的細い尾根筋に築かれています。尾根筋の両側は切り立った崖になっており、城下からは比高100m程度ですが、東側を流れる川から眺めるともっともっと高く見えます。本丸の両脇を二の丸と三の丸が囲んでいて、それを中心部分と呼称すれば、中心部分とほぼ同規模の西尾根にも幾多の曲輪が築かれています。西の丸と総称されるこちらのエリアはもと家老屋敷群だったところで、後に家老屋敷群を押し出して西の丸御殿が築かれた場所です。これらのすべてが石垣で固められ、またその石垣が寸分たがわずびくともしない堅固なものなので、現在でも迫力満点の光景が広がっている、というわけです。

<2019.4.27>
100名城スタンプの押し直しで、2018年の秋に改めて岡城を訪ねました。ちょうど石垣下の補強工事が話題になっていた頃で、批判の対象となったコンクリートの垂直壁も眺めてきました。確かに真新しいコンクリートは目立ってはいましたが、垂直にこしらえたのは少しでも景観を妨げないようにとの配慮だと思いますし、近い将来きっと苔なりシダなりに覆われて、そんなに目立たない存在になりそうな気はしました。そんなにめくじら立てて責めなくてもよいのでは、というのが実感でしたが、その後何らかの景観対策工事がなされたようですね。お城を守って頂けるだけでも有難い話なのですから、関係者の皆様の努力には本当に頭が下がります。
前回訪ねた時からの変化と言えば、土蔵跡を覆っていた木々が取り払われたことと、本丸に取りつくための建物が作られていたこと、それに本丸の一部が発掘されていたことでしょうか。気になったのは土蔵跡で、雨ざらしとなってしまったことで土塀がますます溶け落ちてしまうのではないかなあ・・と、ちょっと心配になりました。
Data
ランク 国史跡、100名城、百選、こんな城、大分県1位
石垣
創築:文治元(1185)年、緒方惟義、改築:文禄2(1594)年、中川秀成
緒方氏、志賀氏、中川氏(岡藩、70000石)
豊後竹田駅の東側が岡城の城下町ですが、岡城は城下町からもちょっと離れています。城下町を突き抜けて坂道をとことこ登っていく必要があるのと、城域も結構広いのとで、見学には思いのほか時間がかかるお城です。
車なら案内看板に従って登っていくと、大きな駐車場に辿り着けます。駐車場の脇が城内入り口で、100名城スタンプもここの入城券売り場にあります。岡城の入城券兼案内パンフレットは巻物状になっていて、それ自体がよいお土産になりますのでぜひお持ち帰りください。


岡城フォトギャラリー






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