中津城
なかつじょう

所在地:大分県中津市二ノ丁本丸
最終更新日:2018.12.18

<2015.8.8記>
中津駅前のホテルに一泊し、朝一番で中津城をぐるっと一回りしてみました。中津の街には、事前に想像していた以上に中津城の残り香が漂っていました。おかげでホテルを出てから中津城の本丸に辿り着くまでが妙に長かったような。。。
実在しなかった天守は、売りに出されたりしたこともあったりしましたが、とりあえずは新所有者のもとで落ち着いたようです。萩城の天守古写真がモデルだったはずで、現地で見るまでは均整の取れた天守だとばかり思っていました。ところが実際に間近で見ると、まず石垣からのはみ出し方が尋常ではありません。屋根のラインもよく見ると各階ごとで平行ではなかったり、まるで均整の取れていない天守でした。不整形の天守台の上に無理やり五層の天守を建てているので無理が生じるのですが、こうした不均衡が不思議なくらいにお城の美しさを引き立てるんですね。アイスクリームに醤油を垂らすと甘くなるのと一緒ですかね(違うか)。
天守の中は、長らく中津藩主だった奥平氏関係が8割で、中津出身の福沢諭吉が1割くらい、官兵衛さんが1割くらいでしょうか。でも大河ドラマ「軍師官兵衛」が終わってすぐの訪城だったので、外はなんとなく官兵衛さん一色なのでした。ちなみに天守の前ではオリジナルキャラクターの「おっくん」(徳川家康のひ孫・奥平忠昌がモデル)と「くろかんくん」が仲良くから揚げを食べていました。ポスターの中の話ですが。
中津城は天正16(1588)年、黒田孝高(官兵衛)が築いたお城です。それまでこの地域は大友氏の勢力下で国人領主が割拠しており、このあたりの中心は宇都宮氏が拠点としていた城井谷城でした。山に囲まれた城井谷から、海に面した中津を拠点に選んだあたり、官兵衛さんの慧眼というべきでしょうか。関ヶ原の戦いの後に黒田氏は福岡城に移り、宮津城から細川忠興が移ってきました。忠興は本丸を拡張するなど、中津城にかなりの手を加えているようで、現在も本丸には「黒田時代の石垣」と「細川時代の石垣」との境界となる場所が残っています。細川氏が熊本城に移った後は明石城から小笠原氏が入り、更に奥平氏が城主となって明治を迎えました。
実在しない天守を作ってしまったことで、建物重視の「100選」には選ばれ旧状重視の「100名城」には選ばれなかったお城ですが、総石垣造りの近世城郭でありながら築城年代が「天正」であることは驚きです。「九州最古の近世石垣」とも称される官兵衛時代の石垣は、その一部が近隣の神籠石から持ち出された「貴重品」であることもあって、非常に高い歴史的意義を持っています。
城主も黒田氏、細川氏、小笠原氏、奥平氏と、錚々たる豪華メンバー。「おかこい山」と呼ばれる総構の一部すら残すこのお城は、もっともっと歴史的価値がクローズアップされてもよいお城だと思いました。

<2018.12.18記>
続100名城に、中津城も選ばれました。もともと100名城に選ばれても全くおかしくなかったお城なので、まずは順当な選考と言えるでしょう。スタンプを押すため中津城を再訪してみると、堀の水がほとんどなくなっていました。そういえばここの堀は海水なので、潮の干満に合わせて堀の水位も上下するのでした。今治城、高松城と並ぶ日本三大海城のひとつであったことも再認識。天守の展示は、心なしか奥平氏関連のものが若干少なくなって、その分官兵衛さんのものが増えたかな、という感じがしました。でも、このお城の私的イチオシキャラは何と言っても「おっくん」なので、お土産に「おっくんマグカップ」を購入してきました。屈託ない笑顔の「おっくんマグカップ」、今も会社で使っています。
Data
ランク 県史跡、続100名城、100選、大分県2位
天守・櫓(模擬)、石垣、堀
創築:天正16(1588)年、黒田孝高、改築:慶長5(1600)年、細川忠興
黒田氏、細川氏、小笠原氏、奥平氏(中津藩、100000石)
中津駅の北東700mくらいのところに中津城があります。城内二の丸のあったところに大きな駐車場が用意されています。


中津城フォトギャラリー






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