日出城
ひじじょう

(大分県速水郡日出町)
最終更新日:2016.3.23

地図

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<2016.3.23記>
日出城は、ずーっと行きたかったお城だったのです。できればあの鬼門櫓が綺麗になる前に。
誰からも忘れ去られて、あわや朽ち果てる寸前までいった、あの鬼門櫓。
幸いなことに鬼門櫓は救われて、城域の中に戻されて元の雄姿を取り戻しましたが、どうせなら一度でいいから、あの朽ちかけた荒壁の鬼門櫓を見てみたかったな、と思います。
でも時期を逸したおかげで、私が訪ねた頃には鬼門櫓に入ることさえ叶うようになりました。櫓の中からも鬼門除けの角はわかるのですが、鬼門除けによって形作られた45度の空間にテレビが置かれていたのは笑いました。鬼門除けって、テレビ台仕様だったんですね。
櫓の中にいたおじさんが日出のことをいろいろ親切に説明してくれたのですが、そこで初めて「鬼門櫓の他にも現存建造物がある」ことを知り、自分の無知さを大いに反省したのでした。
日出城は鬼門櫓以外にも見どころが沢山で、天守台の石垣は直線的という表現を通り越して挑戦的であるとさえ感じられます。鐘楼が乗った櫓台も様になっていますし、学校の入り口になっている本丸入口のかまぼこ石塀も隠れた見どころのひとつでしょう。
日出城は、訪ねる前に期待していた通り、城下町の面影を色濃く残す日出の町並みとともに、私にとっては何度でも訪ねたい懐かしさを持ったお城でした。
Data
ランク 「大分県7位」
櫓(現存)、門(移築)石垣、堀
創築:慶長7(1602)年、木下延俊
木下氏、(日出藩、25000石)
日出城は、日出藩初代藩主となった木下延俊が細川氏の力を借りながらも一から築城し、木下氏がそのまま明治まで守り通したという意味で、珍しい経歴のお城と言えます。前身となる戦国の城郭もなく、一度も藩主家の交代もないお城というのは本当に珍しいのではないでしょうか。木下延俊は豊臣秀吉の正室・おね(高台院)の兄・木下家定の子です。秀吉にも相当近い間柄でありながら、江戸時代を通じて生き残った木下家も稀有な存在だと思います。いくら高台院の後押しがあったとしても、です。
3万石(後に2万5千石)という決して大きくない石高の割に、日出城はしっかりと作られています。天守台には三層の天守が上げられ、要所要所には単層または重層の櫓が上げられました。そして日出城を特徴づけるのは、なんといっても直線的な石垣。石垣築造技術が強度的にもまた美的にも最高水準に達した時代(関ヶ原直後)の石垣で、天守台の石垣を下から見上げると圧倒的な存在感があります。
建物は現在、民家に移築されて城内に再移築・復元された鬼門櫓と、同じく民家に移築された後に解体保存され、城内に再建された裏門櫓とが残ります。他に近隣の龍泉寺に部分移築された城門が残っています。





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