安岐城
あきじょう

(大分県国東市)
最終更新日:2016.3.19

地図

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<2018.3.19記>
大分空港からバスで大分市街に入ったことがあるので、絶対にこの安岐城の脇を通過しているはずなのですが、恥ずかしながら当時はまだ安岐城の存在を知りませんでした。その後、官兵衛さんブームに乗っかって関ヶ原の戦い前後の豊後の様子を知るにつけ、「あんなところに近世城郭があったのか」と認識を改めるに至りました。
これは訪ねてみなければということで、その後の行程に影響が出るのも顧みず、早朝からホテルを飛び出して安岐城へと向かったのでした。目指す安岐城は国道213号線「杵築沿海路」を大分から大分空港方面に向かってゆき、大分空港のごくごく手前で大きな橋を渡ったらすぐ左。天満社の参道入口に「安岐城跡」の案内板が出ています。参道は、お城好きな方が見ればすぐにそれとわかる、土塁の再利用。そして社殿が乗っかっているのは、これもお城好きな方が見ればすぐにわかる、大きな櫓台。この規模だと天守台ですね。よく見ればこの天守台、石垣が積まれた形跡もありますし、社殿を支える礎石がそもそも大きくて立派すぎますので、きっと天守をささえていた礎石の再利用でしょう。
周辺にはまだまだ土塁と堀の跡が辿れる場所もあり、関ヶ原後に廃城となって住宅の間に埋もれた割には、案外色濃くお城の名残を留めたお城でした。こういう遺構に出会うと嬉しくなりますね。山道を登らなくてよいのもまたよし、です(笑)。
Data
ランク 「大分県9位」
石垣、土塁、堀
創築:応永年間(1394〜1428)年、田原親幸、改築:文禄2(1593)年、熊谷直盛
田原氏、大友氏、熊谷氏
安岐城を最初に作ったのは国東市内の飯塚を本拠としていた田原氏のようで、田原氏の内紛を大友氏が成敗し、一時は大友氏の直轄になっていたもののようです。大友氏が文禄の役における失態によって改易されると、安岐城には熊谷直盛が15000石で封じられ、安芸城はこの時に織豊系城郭として大改築がなされたものと想定されます。
熊谷氏は関ヶ原の戦いの際には西軍に属して美濃大垣城を守りますが、城内に徳川方への内応者が現れ、他の西軍方武将とともに大垣城内で暗殺されてしまいます。一方、居城の安岐城には家臣が詰めていましたが、中津から進軍してきた黒田官兵衛の説得を受けて開城します。はるか彼方、大垣の地で主が討たれた安岐城にはその後誰も入ることはなく、そのまま廃城となってしまいました。
お城は現在の天満宮社殿のあるところが天守を伴う本丸で、西南に向かって二の丸、三の丸と開けていました。現在でも高低差や道路の形で、なんとなく曲輪の姿が見て取れます。なお、駐車場がないので、散策は手早く行いましょう。





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