福島城
ふくしまじょう

(新潟県上越市)
最終更新日:2016.2.21

地図

<2016.2.21記>
高田城が築かれたことですっかり消滅したお城という印象が強かったので、現地に行ってみてびっくり。いや確かに現在はほとんど何の痕跡も残していないのですが、現地に立つ「古城小学校」に設置されたプレハブの資料館には、満々と水を湛えた幅広い堀がくっきりと。校門の周辺には出枡形の痕跡すら残す、意外なくらいの城跡らしさに「ううむ・・・」と唸ったきり、身動き一つできなくなりました。
昭和の時代までこれだけの堀が残されたきた福島城は、高度成長の過程で堀を失いましたが、今この地域は空家や空地が散在する、どちらかといえば寂れた場所と化しており。もし仮に、40年ほど前に勢い余って堀を埋めずに残していたら、もしかしたら今頃貴重な文化遺産として、あるいは観光資源として、町の経済にも貢献していたのではないのでしょうか。周辺の状況を見る限り、今からでも全く遅くはないとも思えます。すぐにでも堀をもとに戻し、「巨大な中世城郭(春日山城)と、近世城郭を二つ(福島城と高田城)持つ町」としてアピールしてみてはいかがでしょう。
そんなことを本気で思い起こさせるほど、この航空写真と現在の状況とはどちらも衝撃的でした。
Data
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創築:慶長12(1607)年、堀忠俊
堀氏、松平(長沢)氏
上杉氏が豊臣秀吉の命で会津に移った後、春日山城に入った堀氏が新たに築いたのがこのお城。春日山城では山に寄り過ぎていて、そもそも山全体がお城という春日山城では「でかすぎた」のではないかとも思うのですが、直江津の海運を睨んで海沿いのこの場所を選んだのはある意味合理的と言えるでしょう。いつから築城を始めたのかは定かではありませんが、慶長12(1607)年には完成し、堀忠俊は春日山城から福島城に移っています。
お城はほぼ長方形の本丸を三重の堀で囲むかなり本格的な近世城郭で、現在も古城小学校に散在する石材から察するに、石垣も用いられていたようです。が、あまりにも海に近かったため、日本海の荒波にさらされるのをよしとしなかった松平忠輝によって、もう少し内陸に改めて高田城が築かれ、福島城はその短命を閉じたのでした。とはいえ堀などはある程度そのまま残されたと見え、上記の通り昭和の時代まで本丸周辺の水堀も現存していました。現在、堀はすっかり埋められ、城の名残を伝えるものは城跡に立つ古城小学校の一角に建てられた石碑(石碑の土台回りの石は福島城の石材と伝わります)と、プレハブの資料館くらいになっています。





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