荒戸城
あらとじょう

(新潟県南魚沢郡湯沢町)
最終更新日:2013.10.12

地図

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<2013.10.12記>
三国街道沿いに、上杉氏が作った完全無比の実戦型城郭が眠っている・・との話を聞きつけ、ついでに越後のへぎそばを探し求める日帰りの旅を企画してみました。
越後湯沢に入り、湯沢インターを降りて三国街道を南下し、芝原トンネルの手前で左側の旧道に入れれば、あとは荒戸城の看板が目に入るまで旧道を登っていくだけです。
・・・あくまでも旧道に入れれば、ですが(笑)
車を置いて山道に入り、ちょっと登ったところで目に飛び込んできたのは、聞きしに勝る土の造形美。夏だというのに下草も綺麗に刈られていて、申し分のない整備状況。
ほう、とかへえ、とか言いながら、その造形美にしばし感嘆。気持ちもアガります。
帰りに寄った湯沢駅前のへぎそばも、実に美味しかったです。新潟県内ではこのお城ひとつだけを見に行くという弾丸ツアーでしたが、十分に行く価値がありました。
Data
ランク 「新潟県5位」
土塁、、堀
創築:天正6(1578)年、上杉景勝
深沢氏、樋口氏
緊急用のお城なのですが、緊急用であるが故に相当に造り込まれています。時は御館の乱の折、天正6(1578)年のこと。上杉謙信の急死を機に勃発した養子同志の覇権争いの中で、北条氏一族の上杉景虎救援のために北条氏が越後に入るのを阻止するために、上杉景勝が三国街道を睨みつける形でこのお城を築きました。一気に作られ、上杉氏が越後を去る慶長3(1598)年まで、ぴったり20年間に限り使用されたことが明確にわかっている貴重なお城でもあります。
こんもりとした山のてっぺんに比較的広めの本丸を取り、二の丸、三の丸を扇形に広げています。防御はあくまで三国街道側。初めから北上する北条軍以外の敵を想定していないので、一方方向に防御を向けた極めてシンプルな造りです。枡形門の代わりに二の丸、三の丸の出入り口を半地下式にして、侵入する敵を「槍ぶすま」で殲滅させる意図が垣間見えるなど、急ごしらえでありながら技巧も満載です。
なにより車であればすぐ近くまでたどり着けるアクセスのよさと、整備状況の良さは特筆もの。越後の城めぐりにはかかせない、隠れた名城です。





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