柳本城・柳本陣屋・中山城
やなぎもとじょう・やなぎもとじんや・なかやまじょう


柳本城

柳本陣屋


所在地:奈良県天理市柳本町、中山町
最終更新日:2017.8.27
<2017.8.27記>
山の辺の道の正規ルートからはちょっと外れるのですが、黒塚古墳と纏向遺跡、それに箸墓あたりは外せないコースでしょう。従来の学問では想像すらできなかった三角縁神獣鏡がざくざく出土した黒塚古墳は、考古学ファンならずとも心躍らせる歴史スポットですが、これがまるまるお城の跡。戦国時代には黒塚古墳の前方部と後円部との間に堀切が作られていて、現在その場所は地表面で色分け表示されています。また、江戸時代には隣接する柳本陣屋の主だった柳本藩主・織田家によって何らかの施設が設けられたようで、墳頂部の発掘成果からは枡形門みたいなものが検出されたのだとか。
古墳がお城に利用されるというのは古墳の多い奈良ならではのことだと思いますが、天理市内には少なくとももうひとつ、古墳の墳丘を利用したお城があります。国史跡にも指定されている中山大塚古墳の後円部の墳頂近くにも円形の横堀が掘られており、お城として使われた際の遺構だと言われています。中山大塚古墳の脇は通りましたが墳丘には登らなかったので、こちらの写真はありませんが。
黒塚古墳を散策していたら、一組の親子が墳丘に上がってきました。どうやら歴史好きの少年と、付き合わされているお母さん、という感じでしょうか。墳丘から見える箸墓古墳の方角を示したら、とっても嬉しそうにしていました。いつかこの少年が大きくなって、日本の考古学を大きく発展させる・・・なんてことがあったらいいですね。
柳本陣屋は、黒塚古墳の展示室が建っている場所にありました。黒塚古墳の周濠も陣屋の堀として活用していたようですが、よく見ると展示室のある側の周濠の縁の石垣は陣屋として築かれた石垣なのだそうです。柳本陣屋は柳本藩を立藩した織田氏の陣屋です。大名になった織田氏は江戸時代を通じて4家ありましたが、ここはそのひとつ。織田有楽斎の五男・尚長が藩祖です。陣屋の範囲は結構広く、現在の柳本小学校から展示室までの一帯がすべて陣屋の敷地だったようです。現地に建物はありませんが、御殿の一部が橿原神宮に移築され、「文華殿」という建物(非公開)になって現存している他、門が近隣の民家に移築されています。
Data
ランク -
石垣、堀、御殿(移築)、門(移築)
柳本陣屋:寛永年間(1624〜1644年)、織田尚長
織田氏(柳本藩、10000石)
 
柳本城
柳本陣屋近辺の道は狭く、駐車場も十分ではりません。柳本駅から歩いてすぐなので、公共交通機関での来訪がお勧めでしょう。柳本駅から東に向かって300mほどのところです。どうしてもカーナビで、となれば、柳本小学校を目指すのが便利でしょう。

柳本陣屋

中山城
山の辺の道沿いにありますので、山の辺の道を散策しながら立ち寄るのがベストです。車では至近の場所までは辿り着くことができません。どうしても車で、ということであれば、近隣の念仏寺を目指すのがよいでしょう。





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