玖島城
くしまじょう

(長崎県大村市)
最終更新日:2016.4.26

地図

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<2016.4.26記>
大村市にある大村氏の大村藩の大村城なのですが、どうも玖島城の方が正式名称のようなので玖島城としました。いつかどこかで書いたような気もするのですが、これだけ語呂がよいお城も珍しいと思います。しかも大村市の大村氏は、本当に大村に長いこと土着した一族です。あれだけいろいろあった九州の戦国時代を生き抜いて、明治までそのものずばりの本貫の地に居続けるのは、それこそ並大抵の努力ではなかったことでしょう。まずは、大村氏に感服です。
玖島城の建築物はすべて失われてしまいましたが、堅牢な石垣と舟入が残され、石垣の上には均整の取れた板敷櫓が復元されました。どちらかと言えば全国的には無名な方ですが、このお城を訪ねたお城好きはみんな玖島城が好きになると言います。現地を訪ねてみて、私もそんな一人になりました。
Data
ランク 「長崎県3位」
櫓(復元)、石垣、堀
創築:慶長4(1599)年、大村喜前
大村氏(大村藩、27000石)
鎌倉時代に地頭としてこの地を領した大村氏が、そのまま明治までこの地を支配するという、全国的に見ても稀有な事例です。戦国時代の大村氏は近隣の三城城を本拠としていましたが、豊臣秀吉の死去に伴う政情不安を受け、堅固なお城を築くに至ったというのが玖島城築城の経緯なのだとか。築城に当たっては肥後熊本の加藤清正の助言を得たらしく、主要部分は扇の勾配を持つ美しい石垣で固められました。下から見上げると石垣は一重しか見えないのですが、上に上がると本丸大手門のがっしりした石垣が迎えてくれ、上段にもう一重の石垣を有していることがわかります。また、平成になって復元された板敷櫓の城内側には堀が穿たれており、一筋縄ではないこのお城の複雑な縄張りには「うーむ」と唸らんばかりです。
主郭近辺の立派な石垣に加え、このお城を特徴付けているのは「お舟入」の存在。大村藩は常に藩船を抱えており、その船を格納するための舟入を城内に設けていました。実際に使用された頃には屋根付きだったらしく、ドック状に海に突き出した石垣には柱穴が点々と穿たれています。他の城には見られないこうした仕掛けの数々が、恐らくは多くのお城好きを玖島城好きにさせるのでしょう。一見の価値あるお城です。





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