神代城
こうじろじょう

(長崎県雲仙市)
最終更新日:2016.4.16

地図

<2016.4.16記>
実に卒業旅行以来、20数年ぶりの長崎県入りです。当然長崎県内のお城探訪も初めてなのですが、記念すべき長崎県第一号のお城は「神代城」になりました。「神代」と書いて「こうじろ」と読みます。ローマ字で書くと「Kojiro」。おお。私ではないですか(爆)。
長崎県内のお城を探訪したことで、「城をやる」のサイトも47都道府県が出揃うこととなりました。思えば遠くへきたもんだ。
神代城は、神代町にある鍋島氏の屋敷のすぐ西側にあります。Googleの地図では神代神社から道路を挟んだ北側一帯を別名の「鶴亀城」として表示しています。もちろんそちらも城内ですが、神代神社の方が主郭ですのでお間違えのないよう。
なお、神代神社には駐車場がありません。車がすれ違うのがやっとの通り(かつての堀切かと思いますが)の南側路肩、神社の入り口のところに辛うじて一台程度の駐車が可能な場所がありますので、そこに車を停めて手早く見学することになります。
神社の入り口に枡形らしき構造があって、一部に石垣も残存していますが、そこ以外はごくごく普通の戦国時代の「土の城」。主郭は綺麗な土塁に囲まれていましたが、それ以外には特に見るべきところがなさそうに感じました。
Data
ランク 「長崎県9位」
石垣、土塁、堀
創築:不明、神代氏
神代氏
神代という苗字の武将には「くましろ」と読む一族と「こうじろ」と読む一族とがあり、字は一緒ですが別々の氏族のようです。こちらは「こうじろ」の方の神代氏の居城で、神代氏が代々居住していたと伝えられています。神代氏は16世紀に龍造寺氏に属し、龍造寺隆信が沖田畷の戦いの前に本陣を神代城に構え、神代氏がこれを饗応したといわれています。沖田畷の戦いで龍造寺氏が大敗した後も神代氏は龍造寺氏に属し、島原半島の有馬勢などの攻撃を神代城で退けています。頑張って神代城を守った神代貴茂でしたが、和議を誘われて城外に出たところを謀殺され、神代氏は敢え無く滅んでしまいました。
時は移って江戸時代となり、神代の地は佐賀藩の飛び地となりました。神代には鍋島直茂の兄・信房が入り、神代鍋島氏として神代城の東側に陣屋を構えて明治まで存続します。これが現在も残る鍋島家住宅で、城下町とともに江戸の風情を伝えています。
お城は台地の先端を利用したもので、主郭の四周には土塁を巡らせ、主郭の北側に広大な二の丸を配していました。主郭には神代神社が建ち、二の丸は畑となっています。





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