梶谷城
かじやじょう

(長崎県松浦市)
最終更新日:2016.5.2

地図

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<2016.5.2記>
梶谷城は事前にチェックすべき近隣のランドマークがなく、今福駅の近くに来たら案内板を探す・・・という手はずでした。ただどういう勘違いか、事前の下調べでは今福駅より南側にお城があるものだと勘違いしていて、駅の北側に聳える山を見て「いかにも城がありそうだよなあ」などと呑気に構えていたのでした。紛れもなくそれが梶谷城の乗っかる「城山」だったのですが(笑)。
そんな調子なので、国道204号線を東進していて「梶谷城左折」の看板を見つけた時に「あれれ?」と気が動転してしまったのでした。そのあたりから私の精神状態は少々おかしくなっていたようで・・・
梶谷城へと登る山道の途中で、ハイカーらしき男女一組を見かけました。心持ち、足取りが重そうでもあったのですが、それよりも何だか自分だけ車で追い越していくのが申し訳ないような気分になりまして。思わず「乗りますか?」と声をかけたところ、「はあ?」という素っ気ない反応が返ってきました。
・・・
ハイカーなんですから、歩くことが前提ですよね。当たり前ですよね。なんで「乗りますか?」なんて声をかけたんだろう・・・
そんなどたばたもありましたが、どうにかお城に辿り着き。小雨ぱらつく中をいそいそと見学してきました。
見学を終えて、はたと気づきました。
「あれ?ハイカーさんたち、お城には来なかったのか?」
でも、あの山道は梶谷城のある城山が山頂なので、他に特に目的となる場所はないはずです。もしかしたら私、ばかされましたか・・・ね。
Data
ランク 「長崎県5位」
石垣、堀
創築:延久元(1069)年、松浦久 改築:文禄元(1592)年、豊臣秀吉?
松浦氏
もともとは11世紀に松浦氏の祖・松浦久が築いたのが始まりと伝わる、古い古いお城です。ただ、古いお城と思って見学に行くと、名護屋城獅子ヶ城などには及ばないまでも、立派な石垣がそこここに残っているばかりか、主郭には天守台と思しき櫓台まで備わっています。どうやら文禄・慶長の役に伴い、豊臣秀吉の手によって大改修が施されたようで、現在の縄張りはそうした大改修の後の姿のようです。石垣の残り具合から見て、主要部分はほぼ石垣で固められていたと見るべきです。お城の乗っかる城山は、周囲を見下ろす見晴らしのよい独立山塊となっていますので、この山の上に建つお城は、それはもう立派に見えたことでしょう。現在も本丸と二の丸の間の石垣や、本丸大手門周辺の石垣などは、崩れながらもよく残っています。
お城は松浦氏の支城として機能した時期もあり、元和の一国一城令で廃城となったようですが、松浦氏は自らの本城である平戸城さえも一国一城令が出る前に自ら取り壊していることから、廃城の時期はもう少し早かったのかもしれません。
お城にはかなりの部分まで車で登ることができ、駐車場や休憩施設も完備しており、大変見学しやすくなっています。





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