上ノ平城
うえのたいらじょう

(長野県上伊那郡箕輪町)
最終更新日:2013.12.25

地図

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<2013.12.25記>
「小城さん、本日最後の城ですよ〜。車中で休んでますか?」
との問いかけに、朦朧とした気分で答える私。
「いえ・・・一周駆け足で見てきます。」
折角のオフ会だというのにみんなとは別行動で、鼻が花粉に反応する前に駆け足での散策となりました。畑地化されているためにお城全体がはげ山のようで、曲輪を仕切る浅い堀跡がなかったら、ただの畑と見まごうばかりの光景のその先、台地の先端部分に行くと様子が一変しました。
深い堀切、針葉樹の森・・・ん、針葉樹?杉?
いかんいかん!
再び逃げるように森を抜け出して、畑のような場所を突っ切って、一目散に車へと駆け戻ったのでした。全く何しに来たのやら。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:平安時代?、源為公
伊那氏、知久氏
このお城に伝わる歴史はやたらと古く、平安時代に甲斐源氏・源為満の子として生まれた源為公がこの地にお城を築いたのだとか。その後、為公の子孫が伊那氏を称して代々上ノ平城を本拠としたとされますので、それが本当ならばこのお城は極めて古い時代の、この地域の中心拠点みたいな位置づけだったと言えるのかもしれません。鎌倉時代には知久氏が在住し、承久の乱の後に知久氏が下伊那に移転した後に廃城となったと伝えられてきましたが、現在残る遺構は間違いなく戦国時代のそれで、実際に戦国時代に火災にあった跡なども発掘されているようなので、かなり後の時代まで使われていたもののようです。
お城は半島状に突き出した台地の上をすぱすぱと掘り切った単純構造で、地形の構造上、上に行けば行くほど広くなる仕組みとなっており、途中からは台地を縦にまっぷたつに切る堀も見受けられます。一見すると畑のように見えますが、しっかり見れば各曲輪を仕切る堀なども確認することができます。





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