上田城
うえだじょう



所在地:長野県上田市二の丸
最終更新日:2022.3.12

   
<2018.10.23記(過去の記述をひとつにまとめています)>
真田氏の名を全国に轟かせたことで、あまりにも有名なお城です。本能寺の変の後、武田氏も織田氏もいなくなった甲斐・信濃の両国は大変な緊張を強いられることとなりました。そうした中、なんとかして自立を保ちたい真田昌幸は、徳川氏との対抗上どうしても堅固な城郭を築く必要に迫られ、持てる技術を全て注ぎ込み、全く新しい城郭を築き上げます。時は天正11(1583)年。上田城は戦国時代も間もなく終わろうかという時期に築かれた戦闘的城郭という意味でも貴重なお城と言えるでしょう。
上田城を舞台とした合戦は、天正年間の「第一次上田合戦」と、関ヶ原の際の「第二次上田合戦」とがありますが、何しろあまりにも有名な合戦なのでここでは割愛します。ただ、精強を持って鳴る徳川勢を二度に亘って撃退したお城は他に例がありません。残念なことに現在見る上田城の遺構や建造物は真田氏のものではなく、元和年間に入って仙石氏が新しく築きなおしたものです。とはいえ地形上の制約もあって、かなりの部分は真田氏時代の縄張りを踏襲していることでしょう。細かいことは横に置いておいて「真田氏の城だ」として見ても、それほど差し支えはないのではないでしょうか。現在、本丸には3基の櫓が建っていますが、そのうち2基は明治以降に払い下げられ、ふたつ合わせて遊郭として使われていたものを再び本丸に戻したものです。文化財的な価値はさておき、これだけ数奇な運命を辿った櫓も稀ですね。貴重なものだらけの上田城は、本サイトで取り上げているあらゆる名城にランクインする、全国でも屈指の名城です。
そんな上田城を初めて訪ねたのは1980年代。私が中学生の頃でしたが、再訪した際の文章が「城をやる」の前身サイトに残っていました(2001.12.5記)。

「あの時より、門が一つ増えました。気がつくと、全国各地で以前訪ねた時より建物が多くなっています。掛川がそうでしたし、そもそも地元の駿府がそうでした。天気に恵まれ、紅葉もまだ盛りに近かったので、とっても綺麗な画像が沢山とれました。無骨な3つの櫓と石垣と岩盤が交互に織り成す、これまた無骨な城壁・・・難攻不落を地で行く名城は、『真田』の名を借りなくても十分にその価値を見出されたことでしょう。私はこのお城、大好きです。駐車場まで下りてきた時、目の前の階段に尻込みして、大声で泣きわめく3歳くらいの女の子がいました。お母さんが構わず階段を上り始めると、大声で泣いたまま、しかたなく後ろから階段をよじ登っていきます。可愛い盛りですね。微笑ましい光景に、思わず涙があふれそうになりました。」
あの時、私は何を見ていたのでしょう。故あって幼い息子と離れ離れに暮らしていた時期で、小さい子供や仲良し親子みたいな風景を見るのが辛かったんだろうな、ということだけは想像することができます。

続いて、「城をやる」の2010.2.28記には、こんな記述がありました。

「2001年に一人で訪ねたお城に、10歳になった息子を連れて再訪したのが2年前。かつて大きな淵となっていた側の急斜面は、駐車場からの石段が設置された今も険しいままな気がします。あの時、女の子が尻込みしていた階段を、嬉々として息子が駆け上がっていきます。あの時の女の子は、息子よりももう少し大きくなっていることでしょう。日々成長してゆく次の世代に、時の流れを感じずにはいられませんでした。」

今、この記述から更に10年近くもの年月が流れました。今は再び息子とも離れ離れになってしまいましたが、息子も、そしてあの女の子もきっと、立派な大人になっていることでしょう。長いこと城をやっていると、お城によってはそこに自身の人生そのものが投影されていく場合があるようです。これまで何度も何度も上田城を訪ねているのですが、あの女の子に出会った尼ヶ淵への階段は、今でもまだなんとなく避けているような気がするのです。

ところで、2018年の再訪の際、前日に訪ねた太郎山ハイキングコースで偶然「石切り場」を見つけました。矢穴跡が沢山残る石切り場の石はきっと、上田城に運ばれたものなのでしょう。資料等で確認したわけではないのですが、表面観察した限りでは二の丸門等に使用されている石がここの石のように見受けられました。

<2022.3.12記>
「城をやる」は単なるお城紹介記ではなく、そのお城を訪ねた時に感じた様々な思いを綴るために制作したホームページでした。立ち上げ当初はそれこそ詩集やエッセイのように、その場その場で目にした風景や人々に思いを寄せ、その場で展開したであろう過去の歴史に思いを馳せようと思っていたのですが、お城の数が増すにつれて、あるいはこちらが歳を取って感性が鈍るにつれて、だんだんそういう抒情的なものがなくなってきて(大汗)。
上田城の項に残された過去の記述を眺めてみると、1980年代の初訪問に始まって、その時々に感じたことが積み重なっているのを感じます。書いておかなければ私自身が忘れてしまっていたであろうことも、こうして書き残しておくと思い出せるものなんですね。2001年に上田城で出合った母娘の光景は、ここの文章を読み返す度に私の脳裏に蘇ります。正確にその場所を指し示すこともできますが、ここに記しておかなかったらとうに忘れてしまっていたことでしょう。「城をやる」はそういう意味で、壮大な筆者自身の日記帳とも言えるのかもしれません。筆者は決して、城ばっかりやってる人間ではないのですが(笑)。
2021年の訪問時は、別所温泉に赴く途上の立ち寄り地でした。ちょうど会社でウォーキングイベントをやっている真っ最中で、とにかく歩数を稼がなければいけなかったところ、戸石城や松尾古城といった山城では思うように歩数が伸びず、「それならば」と広大な上田城をてくてく歩くことに。狙いは的中し、戸石城と松尾古城で費やした歩数をほぼ同数を上田城ひとつで叩き出すことができました。平坦な方が歩数を伸ばしやすいというのはもちろんですが、歩数を振り返って逆に実感したのが上田城の広さ。近世大名のお城というのはさすがに大きいもので、城内を歩くだけで健康づくりに役立つのだということを知りました。
ランク 国史跡、100名城、100選、百選、こんな城、長野県3位
櫓(現存)、門(再建)、石垣、土塁、堀
創築:天正11(1583)年、真田昌幸、改築:元和8(1622)年、仙石忠政
真田氏、仙石氏、松平(藤井)氏(上田藩、53000石)
アクセス 上田駅から真っ直ぐ伸びる道を進み、中央二丁目交差点を左折すると、大手門の跡を経て、旧上田藩主居館跡(上田高校)を左手に見ながら上田城に至ります。歩いて20分くらいの、格好な散歩道です。
車は上田城南側の尼ヶ淵跡と、二の丸北側の二ヶ所に大きな駐車場がありますので、お好みでどちらかの駐車場をご利用下さい。


上田城フォトギャラリー





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