田口城
たぐちじょう

(長野県佐久市)
最終更新日:2013.11.15

地図

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<2013.11.15記>
このお城に行ったことがある方から予めお聞きした、このお城に辿り着くためのコツ。それは、
「その道を信じて進むこと」
でした。未舗装の道をひたすら登ってゆくと、その果てが田口城というわけです。その言葉を信じ、どんどん狭くなってゆく未舗装路をものともせずに突き進んだ結果・・・
・・・道を間違えていました。
車一台すれ違うこともできない道で、みんなで力を合わせてどうにかこうにか車を反転し、今度こそ正しい道をずんずんと。田口の町を走る県道2号線には、今では小さいながらも「龍岡城展望台」の案内板が出ていますから、案内板があるということを信じて進むとよいと思います。
さてその龍岡城展望台。田口城の手前に最終案内板がありますが、道らしき道があるわけではないので、適当に歩いていくことになります。行きついた先には朽ち果てた材木の山。恐らくはそれがかつては展望台の形をしていたのでしょう。それでもわずかに切り開かれた木々の間から、確かに龍岡城(龍岡五稜郭)の姿を臨むことができるようになっています。
このままだと龍岡城の話ばかりになってしまいますが、肝心の田口城も石垣あり、土塁あり、数々の曲輪ありのなかなかの山城です。龍岡城まで来たら折角なので行ってみるとよいのではないかと思います。
Data
ランク -
石垣、土塁
創築:不明、田口氏
田口氏
田口の地を領した国人領主、田口氏のお城です。信州はこうした小さな国人たちがそれぞれに立派なお城を築いています。田口城の田口氏もそうした国人の一人ですが、武田信玄の佐久侵攻の際には抵抗勢力となり、やがて武田氏によって追われます。武田氏はこのお城に相木氏を在城させましたが、武田氏滅亡、そして本能寺の変と時代が目まぐるしく変遷する中、徳川家康にこの地域の鎮圧を命じられた依田信蕃によって落城させられ、以後廃城となったもののようです。
お城は案外広く、山頂の本丸を中心になだらかな斜面にいくつもの曲輪を重ね、段差には補強のための石垣が用いられています。防御性が高いとは言えなさそうですが、眺めもよく居住性も高そうな、よいお城だと思います。
このお城を訪ねると、もれなく龍岡城の展望がついてくるのもお得感があります。北海道以外で五稜郭が見下ろせるのはここだけですし、五稜郭が見下ろせるお城というと、全国でもまず田口城くらいしかないと思いますので。





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