望月城
もちづきじょう

(長野県佐久市)
最終更新日:2012.6.9

地図

<2012.6.9記>
長野までゴルフをやりに行った帰り道、ただ帰るのも何なので・・・と、志賀城に立ち寄ってみたものの、鉄壁の岩盤に跳ね返され、何とも不完全燃焼に終わってしまいました。
このままではやっぱり不完全燃焼なので、もう一城・・・と、あれこれ探して急遽目指したのが、ここ、望月城。中山道の望月宿は、宿場町の色彩を色濃く残す、風情のある町ですが、望月城はその望月宿を見下ろす位置にあります。麓の城光院前に駐車場があるのでそこに車を停め、登り口をさがしてとことこ歩くと、やがて看板が見えてきました。
「若い人なら徒歩15分」
みたいなことが書かれたその看板を見た瞬間、私の心に火がついて(笑)、
「ならば10分で登ってやるわ!」
とばかりに、斜面に取り付きました。ゴルフの後で、しかも志賀城を攻めた後ということもあり、坂を登るのはなかなかしんどい作業でしたが、それでもなんとか10分で登り切り、日没までの限られた時間の中で、ぐるぐると城内を歩き回りました。印象的だったのは、本丸への切岸につけられた階段と、階段の先にある冠木門。ここをしっかりお城と捉え、綺麗に草を刈り、整備して下さっていることがよくわかります。感謝感謝です。
そうこうしているうちにはや日没の時間となり、その日のうちに東京に戻らなければならないこともあって、10分かかって登った道を、今度は5分で降りてきたのでありました。
Data
ランク -
土塁
創築:鎌倉時代、望月氏
望月氏
佐久地方の名族・滋野氏の一族である望月氏が長く本拠地とした場所です。鎌倉時代には既に存在していたようで、建武(1335)年の中先代の乱では、信濃守護の小笠原氏によって望月城が攻撃された旨の記録が残ります。とはいえ望月氏は延々とこの地を守り続け、小笠原氏、武田氏ときっちり仕え続け、武田氏滅亡後の天正10(1582)年になって、同じ佐久地方の豪族・依田信蕃の勧めによって開城するまで、このお城は存続し続けました。
記録上、望月氏以外にこのお城に入った形跡がなさそうですから、このお城は望月氏とともに興り、400年ほども存続した後、望月氏とともに消えていったことになりそうです。
戦国時代まで使用されたお城ながら、天険の要害に立つという立地上の利点からか、大規模な土塁・空堀などは見られず、山頂を削平した本丸と、その周囲のいくつかの曲輪にお城らしさが垣間見える程度です。ただ、望月宿を見下ろす眺めは素晴らしく、麓の城光寺もなかなか風情のあるお寺ですので、望月宿の見物かたがた、訪ねてみるのもよいでしょう。





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