林大城
はやしだいじょう

所在地:長野県松本市入山辺中入
最終更新日:2017.11.25

<2013.11.3記>
信濃守護職を務めた小笠原氏の本拠地だったお城です。小笠原氏は武田氏と同じ甲斐源氏の出身で、鎌倉時代から既にその名が見え、室町時代においても有力な源氏一族としてその血脈を受け継いでいます。ついでに言えば小笠原氏はそのまま徳川譜代の臣ともなり、豊前小倉15万石の藩主として明治を迎えます。お隣の武田氏が信玄の時代に全盛を極めた後、空中分解のように消滅したことを思えば、実にしぶとくしたたかに生き抜いたとも言えそうです。
林城が小笠原氏の本城となった時期はよくわかりませんが、松本城の近くの井川館から林城に移ったとされ、その時期は概ね15世紀半ばと伝えられています。戦国時代の始めの頃には多くの守護大名が平野から山間部に本拠地を移転していますが、ここ林城もそういった時代の流れの中で作られたものだったのでしょう。
林城とひとくくりにされるお城は「大城」と「小城」に分けられていますが、立地的にも構造的にもふたつのお城は別物のようです。「大城」の方が山が高く、かつ面積も大きいのですが、縄張り的には小城の方が新しいのだとか。たしかに大城は現地に行くと比較的のっぺりしていて、お城というよりは守護所とか館とか言った方がよい風情かもしれません。大城を特徴付けるのが、山の麓から尾根道にそってびっしりと付けられた、段々の曲輪。守護大名・小笠原氏がこの林大城をもって家臣団を集住させ、より強固はな戦国大名への脱皮を図ろうとしたとの説がありますが、それもなるほどと思わされてしまいます。本丸の周囲をぐるっと囲む腰曲輪の存在や、場所によっては三重にもなる竪堀など、なかなか見どころも多いお城です。この地域の城郭群の中では最も行き易いお城なので、まずはここから訪ねてみてはいかがでしょうか。
なかなか行く機会もないままに日々を過ごしていましたが、折よく「林大城」に行くオフ会の企画があるとの案内を頂き、喜び勇んで合流しました。行ってみると林大城に限っては麓の橋倉公民館で車を降りてからも車道を登っていくだけで主要部までたどり着けるため、大変行きやすい場所であることがわかりました。この車道、ちゃんとした車なら車で登っていくことも可能でしょう。底の低い車だと底が当たってしまうかもしれませんが(次の訪問機会で、セレナみたいな8人乗りの車でもちゃんと登れることを確認しました)。
本丸の周囲には、土塁の内側にも外側にも石垣で補強した跡があり、実際に機能していた頃にはきっとしっかりした石垣で護られていたんだろうなあという想像ができます。で、石垣に見入っていたら、案内の方が
「奥にもっと立派な石垣を見つけたんです。」
とのことで、早速行ってみることに。ところが相当歩いてもそれらしきものが見当たらず、金網にぶつかってしまいました。変だなと引き返してみたら、本丸から坂を下りてからそれほど行かないところに石垣があったのを見逃していたことに気づきました。ただその石垣は半分が崩れており、案内された方も「こんな形じゃなかったなあ」と、盛んに首を傾げていらっしゃいました。どうやらここの石垣も、東日本大震災か長野地方を襲った震度5程度の地震のいずれかで崩れ落ちてしまったもののようです。
山城の石垣というものは、こうやって次第次第に崩れていくのだ・・・ということを強く実感した出来事でした。
Data
ランク 国史跡、長野県9位
石垣、土塁、堀
創築:15世紀中期、小笠原氏
小笠原氏
県道297号線を南進し、薄川を渡ったらすぐ左折します。左折点まで出っ張っている山が林大城で、ここから登ると山の下から上まで連なる小曲輪群を眺めることもできますが、ここには駐車場がありません。左折したら山裾に沿いつつ、案内板に従って進むと、橋倉公民館に辿り着きます。この先の道路は未舗装になりますので、自信のない方と車を大事にする方はここで車を降りて登りましょう。大丈夫な方はそのまま未舗装路を進めば、主郭のすぐ下まで車で上がることができます。

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