高鍋城
たかなべじょう



所在地:宮崎県児湯郡高鍋町南高鍋
最終更新日:2017.10.12

   
<2017.10.12記>
延岡城は日本名城100選に入っていたり続100名城になったりしていて世間的な評価もそれなりにあるのだということがわかりますが、高鍋城は市街地に面した石垣の写真が時折紹介される程度で、少なくとも私が知る限りはあまり日の当たらない存在です。そのため、私自身もどこかで「延岡城ほどではない」とたかをくくっていたのかもしれません。
実際にこの目で見た高鍋城は、もしかしたら延岡城よりも見どころがあるのかもしれない、と感じさせるものでした。確かに石垣の高さとか残り方とか整備状況とか、延岡城の方がちょいと上な気がするのは確かなのですが、高鍋城もなかなかどうして。高鍋城の方が戦国時代の「土の城」の部分を多く残している分、むしろ延岡城より野趣があって面白く感じられます。石垣もすごいし礎石で辿れる御殿跡もなかなかのもの。思わぬ見どころ満載のお城でした。
高鍋城は前身である財部城にも相応の歴史があるようですが、土持氏、更には伊東氏の持ち城となったという程度で、歴史の表舞台にはそれほど出てきません。財部城が高鍋城となって、高鍋藩の藩庁としてその存在価値を高めたのは秋月氏がこの地に移ってからのことです。秋月氏はもともと筑前の秋月を本拠とする戦国大名で、秋月領の最大版図は30万石を超えていたようですが、豊臣秀吉の九州仕置きで相当絞られ、わずか3万石の大名として日向国に転身させられます。それでもふてくされずに領土を維持したのが秋月氏の偉いところで、関ヶ原の戦いでも西軍として大垣城に籠りながら、城内から内応して辛くも本領安堵され、なんとか明治までそのまま相伝えます。高鍋城はそんな中、慶長12(1607)年に近世城郭として大改修がなされ、現在残る石垣もその頃に築かれたもののようです。
ランク 宮崎県4位
石垣、土塁、堀
創築:平安末期、土持氏 改築:慶長12(1607)年、秋月種長
土持氏、伊東氏、秋月氏(高鍋藩、27000石)
アクセス   高鍋城は現在、舞鶴神社と舞鶴公園となっており、終日開放されています。舞鶴公園でもカーナビは反応すると思いますが、公園正面にある高鍋農業高校の方が確実かもしれません。ちなみに高鍋駅からは2km以上離れていますので、車が便利でしょう。駐車場は広く、トイレも完備です。


高鍋城フォトギャラリー





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