飫肥城
おびじょう



所在地:宮崎県日南市飫肥
最終更新日:2019.10.20

   
<2011.11.19記(2019.10.20改)>
鹿児島城を午後イチに出発し、開門時間内に飫肥城に辿り着き、宮崎空港からその日のうちに東京に戻る、という難題に挑んだ日のこと(なんでそんな工程を組んだんだろう・・)。走って、走って、駐車場に車を置いてまた走って・・・名物「おび天」の店が目に入ったものの食べている暇はなく、風情のある大手前の道を全力疾走して、松尾の丸にあるスタンプ置き場へと駆け込むため、石段を駆け上がったところで・・・スタンプ帳を車の中に置いてくるという痛恨のミス(がーん)。
「いらっしゃいませ。」
「あ、あの・・・スタンプ帳忘れたので、もう一回来ます!」
「はあ・・(^^;)」
再び、駐車場まで猛ダッシュ。そしてスタンプ帳を手に、またまた猛ダッシュ。もう、何をやってるんだか。
なんとかスタンプを確保したものの、閉館時間ぎりぎりだったために記念館には入れず(お姉さん、ありがとうございました)、急ぎ足で城内を散策。美しい大手門や、隙間のない石垣をじっくりと眺め、本丸の杉の美しさに見とれ・・・
さあ、帰ろう!(笑)
いや、その前に「おび天」だ!(笑)
・・・と思ったら、駐車場近くのおび天のお店は、閉館とともに店じまいしてしまいました。
走った記憶しか残らなかった飫肥城。今度はもう少しゆっくりと訪ねてみたいと思います。

飫肥城が初めて築かれたのは南北朝時代と言われていますが、その真偽はともかくとして、何しろ古くから存在していたことは間違いのないお城です。長禄2(1458)年には、島津氏が伊東氏の侵攻に備えて、志布志城の新納氏を飫肥城に入城させています。伊東氏は飫肥城の奪還を目指します。文明17(1485)年、伊東祐国が島津氏の内紛に介入して飫肥に侵攻し、そこで戦死してからというもの、飫肥にかける伊東氏の執念はいよいよ強いものとなりました。島津氏の台頭とともに伊東氏は勢力を失い、一時は日向国内における一切の領地を失いますが、豊臣秀吉の九州攻めの際にうまく立ち回って、天正15(1587)年に伊東祐兵が飫肥の地に見事返り咲きます。以後、豊臣〜徳川の時代を乗り切り、飫肥藩57000石の藩主として、伊東氏は明治まで存続しました。もともと伊東氏は、静岡県の伊東市近辺に存在した鎌倉武士で、鎌倉幕府の命により地頭として九州にやってきた一族です。その意味では人吉の相良氏と似たような経緯を辿っているわけですが、伊東氏も相良氏も、鎌倉以来700年近くも、九州の地で活躍し続けたことになりますね。
飫肥城の構造は、「南九州型城郭」とも呼ばれる群郭型の曲輪配置が基礎になっています。当主が住む本丸とほぼ同規模の複数の曲輪が並列的に配置された構造で、その中で本丸だけに石垣が構築され、枡形の門が築かれました。後に本丸が移動し、現在の飫肥小学校の場所が本丸となった際に、現在の大手門にも石垣が築かれ、近世城郭の典型とも言える枡形門が形成されました。そういう意味で、飫肥城は中世以来の「南九州型城郭」をベースとしつつ、必要に応じて必要な箇所にだけ近世城郭としての「衣」を重ねたようなお城です。考えてみれば相良氏の人吉城も同じような考え方をしていますね。地域性の強いお城に改修を施して近世的なお城としての体裁を整える作業は、その地域の意識改革みたいなものと並行して行われたものなのでしょう。その試みには大変な体力を要したであろうことは想像に難くありません。

<2019.10.20記>
さてさて、2回目の訪問となった、2018年の秋の旅。
飫肥といえば、九州・沖縄地区で初めて重要伝統的建造物群保存地区に指定された城下町としても有名です(城郭検定一級・準一級の試験でも見たことがあるような)。飫肥の城下町は「通り一本が武家屋敷街になっている」といった単純なものではなく、町全体が概ね江戸時代の風情を残しているということで、「保存地区」に指定されると町の景観を損ねるような建物の建築が制限されます。結果、時間が経てば経つほど町全体の景観がかつての姿を取り戻していくことになります。飫肥の町も前回来た時よりも今回の方が城下町っぽさが増していたような。
飫肥でのランチは「服部亭」で頂きました。武家屋敷街の中にある食事処で、広い庭園を眺めながら優雅なランチが楽しめます。ランチメニューはひとつしかありません(!)が、選ぶ必要はないでしょう。このランチ、お値段そこそこで十分に豪華な気分を味わえました。
そんなわけで、慌ただしかった前回とは打って変わって、ゆったりのんびりの飫肥旅を楽しませて頂きました。やっぱり城下町ではゆっくりしないと。
ランク 国史跡、100名城、百選、こんな城、宮崎県2位
御殿(模擬)、門(復元)、石垣、土塁、堀
創築:南北朝時代? 改築:貞享元(1684)年、伊東祐実
伊東氏(飫肥藩、57000石)
アクセス   飫肥駅からだとそこそこの距離があります(徒歩20分くらい)が、武家屋敷街を抜けてお城へと辿り着く、理想的な散策が可能です。車なら飫肥城の南西側に大きな駐車場がありますので、そこに車を停めて飫肥城と飫肥城下町をゆったり散策するのがお勧めです。
100名城スタンプは大手門を入って左、階段を上った先にある松尾の丸の御殿受付に設置されています。

飫肥城フォトギャラリー






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